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♪ 釣〜りんぐ東北 ♪

東北地方の釣り・アウトドア・食を発信している備忘録。

人生も折返し地点。
だから「後悔しない」がモットー。

1年は本当に早いものですネ。


今年1年は生涯1度っきりの経験と「命の尊さ」を

これほど感じたことはなかって43年目にして初めての経験だった


東日本大震災(私的には平成三陸沖大地震:大津波がベストな言い方)



地震当日は、夕方からの商談に合せて社内で提案書を作っていました。

お昼は珍しいメンバーで会社近くのラーメン店へ。


14時過ぎになって、資料もできたことだから外出準備に取り掛かっていた。

ほぼ必要な資料もバックに詰めて、いざ出発しようかな・・・と思ってた矢先に


「縦揺れのコツコツコッ・・・と言う小さな地震が発生した」


宮城県人は「震度5位までは慣れてしまっていて」(それなりに頻繁に地震がある為)

「あ、また地震かぁ・・・」の思いが初期振動の時の思い。



ところが今回はこれで終わらなかった。


その後、数秒後だろうか?十秒以上か・・・・


今度は縦にも横にも半端なく揺れ出した。

(このとき宮城県沖地震や三陸沖地震を思い出す)


この揺れ方が異常だった。

経験したことのない揺れ・・・

というか、身体が右に左に強引に引っ張られる感じ。

もう立っていられなかった。

そしてデスクの下に身体を収める。


しかし、これで終わらないのも1千年に1度と言われる大地震の凄いところなのか?

「震度7はあるな・・・と体感している揺れが【長い間揺れる】収まるどころか

どんどん強くなっている感じすらする・・・この間約3分・・・・」


この間に「自分は死を覚悟した」

それだけ異常な地震と揺れだった。



この地震でデスクの液晶モニターのパソコンは全部倒れ、50数人いるフロアは

落ちた資料やらファイルやらで歩く場所すら無くなった。


「内勤で社内に居た人の顔は蒼白・・・」



気を取り直した自分はフロアに残っていたメンバーに早く外に出ましょう・・・と声をかける。


会社の階段からは煙があがっている・・・異様な光景。

火が出たわけではなく、壁土が地震で割れ、擦れたことによるモノのようだ。

無事、駐車場に出てみると、近隣マンションから大勢の奥さんや小さい子供、お子様を

抱っこした人たちが、沢山出てくる。


「みんな声を掛け合うのは、良かったネ、無事で・・・」

「凄い地震だったネ」「怖かったネ」・・・・

泣いている子供もいる。

そして無情にも外は雪が降りだし風も強まって、斜めから雪が降ってくる。


さすがに今の地震の酷さと現状を把握しないといけなかった らくだは、

営業者のラジオを大音量で流す。


東北地方で震度7 !!

大津波警報も発令されました!!

電気・ガス・水道のライフラインは寸断しています・・・・


ラジオ局も携帯電話でみるワンセグTVでも皆が焦りまわっているのが判る。


駐車場に集まった近隣のお子さん連れを寒さから守ってあげるために

営業者を解放する。暖房はMAXへ。

らくだ の営業車に残っていたチョコレートを上げる(たまたま前々日に買ったもの)



このあと、皆の安否確認も始まる。

まず家族の安否確認。そして営業に出ている人、出張の人、休暇の人・・・・

電話も繋がらない・・・(らくだはドコモ。一番繋がったのもドコモ。メールも一番送信できた)



ここからは、安否確認できことへの不安も相成ってパニックがあちらこちらで始まる。


安否確認のために車で移動しようものなら渋滞&信号も動いてないから渋滞は半端ない。

(この時点でガソリン不足になるとは思ってもいない)



その後、東北沿岸に数十メートルの大津波が押し寄せたことをラジオ・ワンセグで知る。

そして同僚ひとりが沿岸部で仕事したまま連絡が取れないとの一報が入る。


皆で電話をかけまくる・・・・

繋がったのは何十回電話してからだろう・・・そして繋がってもすぐ切れてしまう。


けど生存していることは確か。まず沿岸に向けて車を走らす。これが17時頃。


会社を出て1時間たっても駅前にいる自分(車)

車が進まない。世の中全てが狂っていてクラクションがあちらこちらから聞こえる。

そして歩道や路側帯、分離帯まで歩行者が歩く・・・何でも有の風景。。

移動中にも何度も電話を入れるが繋がらない。

たまに繋がって「大丈夫だ、今多賀城にいる。津波に追いかけられてくるぶしまで

津波きたけど大丈夫。今〇〇〇社の駐車場に緊急停車させてもらって2F事務所にいた」

「これから車乗り捨てて、自宅まで歩いて帰る・・・車は津波に浸ったから動くかどうか判らない」

とのこと。歩くって〇〇kmもあるべさ・・・

迎えに行ってるからR45を走行車線側の歩道あるいて来て!」と頼む。


「同僚と合えたのは会社を出発してから3時間後。まず無事であったことを互いに敬う」




~~  中 略  ~~


同僚を自宅に送った らくだ が震災後初めて撮影したのが「これ」


生まれて初めてみる「真っ暗な仙台駅前」(アエルビル前:中央通り入口)


らくだのヨダレ。。。。



そして一番町一丁目界隈


らくだのヨダレ。。。。



らくだ家近所のコンビニには、既に長蛇の列・・・


らくだのヨダレ。。。。

この写真からも判るとおり、いち早く自宅へ急ぐ車で

交差点付近は3重にも4重にも並列する車で混雑・・・・


途中、避難所(学校とか)に毛布にくるまって歩く人を沢山見かける・・・

本当に大変な事態なんだ・・・・自分も怖くなってきた。





~~   中 略   ~~ 



震災当日は、らくだの住むエリアもライフラインは水道を除き全滅。


水が震災以降も、寸断することなく出たことは非常に安心できました。

マンションとかは、溜水タンクが屋上にあるタイプが多いようで停電もした結果

使えなかったところも多かったみたいです。

そしてオール電化。全てが災害の後では役立たずだったようです。





翌日は、街中に住むらくだは当番出勤。

(震災の影響で交通網は麻痺。仕事にもならないので

皆は自宅待機命令です)



そんな中での通勤途中でみる光景・・・異様です。

(写真は2011.3.16の画像。震災後5日目の現状)
らくだのヨダレ。。。。

モノがありません。入荷案内の張り紙。




らくだのヨダレ。。。。

コンビニにモノが無ければ、あるところで買うのが人間です。

今まで近所でありながら買い物もしたことなかった肉屋さんと

向かいの八百屋さんにも長蛇の列・・・・



らくだのヨダレ。。。。

会社近くのコンビニの店内。

行列で入荷を待つ人々が多いので、入荷とともに

商品は無くなります。

棚はガラガラ。あるのは一部商品や食料品じゃないものだけ。



これが震災後、4月まで(1ケ月半)続いた仙台市(街場)の状況。


こんな災害が大都会で起きたら・・・・考えただけでも恐ろしいことです。




~~  中略  ~~


食料調達が思うようにできなくなると人々はどのような動きをするのだろうか?


仙台中心部に住んでいる人はここに行った人が多いのでは?



らくだのヨダレ。。。。
仙台アメ横



もし、東京でこのような災難があったら・・・・

この仙台アメ横も年末の30.31日でも、こんなに混雑しません。


上野のアメ横は、どうなるんだろうか?







~~  中略  ~~


地元民も震災以降、家族・親戚・友人・知人の安否確認から始まったものの


TVや新聞の報道による凄まじさを、何もできずに見守るだけだった人が多いはず。


仙台の老舗百貨店に掲載された震災以降の報道内容は足止めし見入る人だかり・・・・


らくだのヨダレ。。。。




そして、自分も歩き出す。

地元で何が起こったのか?なにをすべきか・・・


今回の大津波で印象的なものに海上保安庁が沖合いに進むなか捉えた

大津波を船が乗り越える画像・・・

    (ユーチューブに沢山掲載されています)


そして、半島(陸)と島を結ぶ「水道」といわれる海流が流れる所の写真。

牡鹿半島と金華山(島)を結ぶ水道で海流が左右に引き離され

海面が見えてしまっている写真。


らくだのヨダレ。。。。

これは紀伊水道とか瀬戸内海(本州と四国を結ぶ)水道の海水が

二分化され海底が見えたのと同じ状況です。

それだけ潮が引いたということです。

ということは、押し寄せる津波がマンションの5階~15階に達するのも

理解できると思います。




~~  中略  ~~


そして津波が去ったあとの現場。

押し寄せる波力より戻される引き潮がいかに強いのかが解ります。



らくだのヨダレ。。。。


この写真は、らくだが好きでよく釣りにも行っていた

女川町。原発の恩恵もあって財政が豊か。

だから施設も群を抜いてすばらしい施設ばかりだったけど

自然の力には、成すすべ無し・・・

入江の手前数キロからは自宅・商店街があって

天然の良港と言われた街並みは瓦礫と化した

戦後のよう・・・・
らくだのヨダレ。。。。


そして、なぜこんなに被災地を苦しめるのか・・・

震災後、津波と共に降りしきる雪・・・・
らくだのヨダレ。。。。

東北沿岸の3月の水温は1年で一番冷たい。

たぶん水温4-5度だったはず。


津波で溺死というより心臓マヒの方々も多かったに違いない。





そして仙台市内に程近い、閖上。

ここも らくだは小さい頃から釣りに親しんだ場所。


らくだのヨダレ。。。。
この写真は名取ICを海側に走ってすぐのところ。

海岸からは3kmはあるんじゃないか・・・



そして流されてきた船。

釣り船みたいだけど1艘3千万はしそうな船です。
らくだのヨダレ。。。。

らくだのヨダレ。。。。

この閖上港は、仙台近郊の港町では一番大きく、

築地に流れる赤貝の名産地でもあります。



その街並みが、全て失われた。




そして、津波のあった翌日3.12、報道では沿岸部には2-3千人の遺体があるようです・・・


とニュースが流れた。





~~ 2011.3.11 鎮魂 ~~










 被災地も、それぞれの思いがあるX’masを迎える・・・・

 
らくだのヨダレ。。。。





 新しいことを始めるには、きっかけとなる

 貴方の1歩から始まる・・・・



 何事も始めの1歩は小さい・・・・



 




             ~ MERRY CHRISTMAS ~


最近のサイクリングロードは自宅から北部のコースを
走る機会ばかり^^;

特に南下したくない訳もなく何故か北上のみ(笑

たぶん、海沿いを走りたい自分が居て
沿岸部となれば北上しかなかったんだと思う。

けれどいつも同じコースだと飽きてしまうので
今回は初めて南下してみた^^


以前、ぼんやり~ぬTVで拝見した震災復興の街を
元気付けしようと岩沼が放送されていた。

らくだが小学校~高校を過ごした町。

懐かしさも含めてウキウキ気分でロード開始^^


途中、そういえば間もなく祝1000km走破?と
サイクリングコンピュータの累計を確認しながら走行。


ちょうど名取市増田の神社前で1000km達成!

らくだのヨダレ。。。。


らくだのヨダレ。。。。

9月中旬の納車から3ケ月で1000kmだから
楽しみながらのサイクリングとしては満足^^


 西側の道路を通過しながら懐かしの岩沼入り。

 高校時代も世話になった学校を遠目に見ながら
 高校時代に毎日面白くなくトレーニングで走っていた道路を
 今の自分は自転車で楽しみながら走行している・・・

 高校の時、部活(トレーニング)で苦しんでて、良かったなぁ・・・
 あの辛さがあって今の自分が居るんだなぁ・・・と思うと

 懐かしさと有難さと年をとったんだ・・・と思った^^;


 岩沼市内に入ったら通学路を走ってみたくなった^^
 自転車で走るより歩きのほうが情緒がありそうですが
 寒いしネ(笑)
 結局、少ししか通学路は走らず、旧国道へ出る。

 学生時代に寄り道した店は無くなっていたり
 世代交代?による新しい建物になっていたり
 はたまた全く変わっていなかったりと小学校~高校時代の
 思い出が頭をグルグル過ぎります。


 そして小学校時の母校。


らくだのヨダレ。。。。

 
らくだのヨダレ。。。。

巨大なプラタナスの木が今となれば巨大に見えない自分がいる。

 それだけ自分が小さかったのか・・・と思ってみたり、
 グランドをみて毎日、野球してたなぁ・・・と振返ったり。
 懐かしいひととき。



 小学校を出て南下すると「つるや」がある。
 ここは「たこ焼き」が超ウマい店。
 らくだが小学校の時には、ここの店舗のほかに
 岩沼駅の西側にもあって、ブリキの器に串に刺さった
 たこ焼き(3個)がソースだくだくで出されてきたものでした。
 当時は1本50円とか60円だった気がします。

 ここのたこ焼きを食べて・・・と思いましたが
 昼食時間も過ぎていて早く昼を食べたかったので
 目的の「とんかつ屋」に行くことに。

 場所は岩沼市役所の北側路地にある「かつ吉」


 
らくだのヨダレ。。。。
昔、岩沼に住んでいたオイラでも知らなかった店^^;

 らくだが住んでいたときのとんかつ屋といえば、
 「ふじ」か「二木」。そして今はあるのか不明ですが
 「くろしお」の3大巨匠が岩沼の有名店だったはず。


 初めて頂いた「かつ吉」の山崎とんかつ定食。
 (山崎という青森三沢の豚のようです)


らくだのヨダレ。。。。

 らくだ的には「とんかつはブ厚くないと」が信条ですので
 次回は普通の「特上とんかつ定食」にしようと思います。

先週も東京に行った らくだ デス。。

東京しか出張には行かない状況ですw

できれば人ごみは避けたい性格なのですが、
写真ネタには事欠かないのも都会ならでは・・・でもあります。


今回は、新橋方面から上野に戻り散策。


らくだのヨダレ。。。。




らくだのヨダレ。。。。

らくだのヨダレ。。。。

らくだのヨダレ。。。。

新旧が折り混ざる上野。
らくだ的には、こんな街も好きになります。



らくだのヨダレ。。。。


らくだ がロードバイクを購入して

練習を兼ねて、せっせと通った阿武隈川CR。

春や夏の早朝、夕方は相当気分良さそうなロケーションです^^


スタート地点はR6号から河川敷きの球場等がある場所。

そこから太平洋の河口まで目指す往復路。



らくだのヨダレ。。。。

らくだのヨダレ。。。。

これらの写真は、河口近く。


勿論、写真の左右は津波によって全て破壊されています・・・



らくだのヨダレ。。。。
この写真なんかは、前方が田舎ならではの大きな家や納屋、

そして農作業の機材なんかも沢山あったり、

ビニールハウスも沢山あった場所。


それが、何もない荒野になっています。

これが被災地の現状です。




らくだのヨダレ。。。。

らくだのヨダレ。。。。
この2枚は阿武隈川の河口です。


津波の影響で河口の砂浜や砂州は全く無くなりました。


まるで初めてみる河口の姿。


この河口から上流に4-5kmまで津波が到達したようです。




一方でR6号から上流部。

こちら側は日本製紙(旧:大昭和製紙)の工場などがある方面。


らくだのヨダレ。。。。

らくだのヨダレ。。。。

堰などもありますが、川に住む魚のことを考えると

本当に意味のあることなのでしょうか?


らくだのヨダレ。。。。

洪水による住民への影響とか色んな言い訳をして

利権だけにムサボリつく人間がする傲慢で悪質な自然破壊の

ひとつにしか見えないのが寂しい限りです。



将来の子供たち、後世に困らせない時代を築きたいものですネ。


江戸参りが、それなりに続く らくだ です。。


時間を創れれば、少し足を伸ばすのも らくだ流



東京の同僚から聞いた天丼なら「大黒屋」
それも本店じゃないきゃ駄目です・・・らしい。


ならば、東京の天丼とやらを食さねば・・・


と言うことで、行って参りました。

それこそ仲見世通りの数本隣の通りです。


らくだのヨダレ。。。。



らくだのヨダレ。。。。

らくだのヨダレ。。。。


見た目はドス黒い・・・
相当、味が濃い感じ。

しかし、食べてみると濃いどころか薄いくらい。
衣も江戸流なのでしょうか?
サクッ感は一切無しw

しっとり感というかシナシナ感がww


これがこのプライスというのも老舗ならではなのでしょうネ。



らくだのヨダレ。。。。

大衡村に、安くて美味しくてボリュームもある

ナイスな定食屋があると聞いて行ってみました。


店名は「ぐるめ茶屋」


らくだのヨダレ。。。。

まるで数十年前のドライブインとか大衆食堂を彷彿させます。

近くには、蕎麦の旨い「葉奈」もあります。


写真はトンカツ定食。


らくだのヨダレ。。。。

2011.3.11の大震災を地元で経験した らくだ は、当日以降の


人々の行動を今まで以上に直視するようになりました。



地震当日は、地震後の社員ならびに各ご家族の安否確認に始まり、


帰社できないメンバーの送迎、そして食料の手配やらライフラインの

確認等々・・・・


そして、見たこのない「真っ暗な仙台市内中心部」と


沢山の帰宅困難者の行列・・・・




このような被災地の「失われた日常」をいち早く取り戻すために


各国・地方から訪れ、支援してくれている方々を日を追うごとに拝見すると

人って、字の如く 「ひとりでは何もできない生き物」なんだ・・・と思い知らされました。







かくにも、震災以降は、ガソリン不足が極めて深刻になって

どこのスタンドも半日以上の待ち時間。

待って並んでいても「ガソリンが無くなりました」の声もあったりで

翌日も並ぶ・・・ということも当たり前で「お一人様20Lまで」の制限もあって

日常とは程遠い日々が始まりました。




そんな中、脚光を浴びたのも「自転車」

普段は空気入れにくるお客さんやパンク修理しかみたことのない自転車店にも

販売する自転車が無い。

勿論、ホームセンターやドンキホーテにも1台も無い・・・


これが被災地の実情でした。





このような状況下で、我が家の娘も通学用の自転車を購入する時期が来て

ダイシャリンやハヤサカサイクルを4月になって見に行っても「欲しいモノ」は

あるはずもなく、転々と店探しが始まりました。


年頃の娘ですからモノ選びもそれなりに慎重になっていて、

待たされる時間もかなりのモノです。


オヤジとしては、娘のママチャリには興味もないことから

マウンテンバイクやらクロスバイクやらを時間潰しのために見ることに・・・



これが、ロードバイクにハマル直前の出来事であってキッカケでありました。




初めのうちは、8万円程度のMTBやクロスを見ていて格好いいなぁ~と思っていましたが


いずれロードバイクが欲しくなりますよ・・・と店主が。


初めのうちは、いずれ・・・の意味もよく解らずにいて、

自転車に8万かぁ~・・・・高いなぁ。。。がその当時の思い。


なので、暫くは、本当に自分が自転車に興味があるのか欲しいのかを

確認するために、下調べだけにすることにした。


4月頭から自転車いいなぁ~ から始まり、

5月のGW時期には、鶴見辰吾さん著書の「気がつけば100km走っていた」を購入。


これを見たら、今度は専門店のロードバイクを見て回るようになってしまう・・・

そして、すっかりロードバイクが欲しい病になっている自分に気づく。

これが5月時点の話・・・




けどなぁ・・・万一飽きたら、えらい出費で終わるなぁ・・・・

オレ、本当に大丈夫かなぁ・・・いつも以上に慎重な自分がいた。




ならば!! と思いついたのは、


せっかくなら、初期投資を大きくして「引くに引けない状況をつくる」のもありだ!!と


超ドS級の考えをするのも らくだ らしさ。



だって津波の影響で趣味の釣りも後何年も出来ない状況が宮城県沿岸にはある。

らくだが爺様にならないと、震災前の釣りはできないだろうと思っていたから

新しい趣味にするには、良い時期でもあるし、自転車なら老後も楽しんでいられる。

そして健康にもいいし、トレーニングにもなる・・・・


良いこと・・・を片っ端から思い描き、そのとおりに実現していくやり方が好きな らくだは

もう、止められない(笑)





そして、セレクトしたバイクは、


① トレック・マドン 4.7 105


らくだのヨダレ。。。。



② ピナレロ・クワトロ 105


らくだのヨダレ。。。。



③ クォータ・カルマ105


らくだのヨダレ。。。。

                          



トレックとピナレロは、諭吉さんが30枚。クォータで24枚もするバイク。


これは、実物をしっかり拝見したり試乗しないと、失敗してからどうしようもないな・・・と思う。



それからが大変であった。

自転車屋巡り(ロードバイク専門店)に行っても試乗車なんか無いのが今の業界状況。

試乗車は、メーカーイベントだったりじゃないとできないみたい。


益々、困り出す・・・



そして、らくだ的に面白いな・・・と思うこともあった。

それは、「自転車専門店」(仙台市内だと「ベルエキップさん」「プロトンさん」「シクロヤマグチさん」)に

行くと、店員全てが「売りたい感」が無いセールストークであることだった。


この人たち、オレに自転車売る気ないのかな?

買いそうに見えないのか?・・・と自ら考えてしまう。


そう思いながらも、買うならこの店・・・と品定めして、足早に通うようになる。


ちょうど夏ごろ、秋になると新作が発売になります・・・という声が聞こえてきたころ、

型落ちモデルが2-3割引きで販売タグをつけ始める。



んッ・・・このホワイトのピナレロ格好いいなぁ~

ホワイトグリッターというカラー。しかも震災で展示サークルから落下してフレームに傷が付いたとのことで

割引・・・・


えぇぇ~どうしよう。。。欲しい・・・けど、高いw


そんなことをしているうちに「売切れ」 (爆)



それで、欲しいモノ(カラー)が消えた (笑)




〇〇さん、悩めば悩むほど、高いモノが欲しくなりますよ・・・の店長の一声。




(確かにスタートが8万なのに今は30万だ・・・早く買わないと〇〇万にもなっちゃうか?)


そのとおり、客の意識はすっかり読まれている・・・店長の言うとおり! ということで


新型2012モデルの 「 ピナレロ FP クワトロ 」 で決める。


予約したのが7月下旬。


納車は9月上旬。





この待たされた間は、間違いなくアクセサリー購入期間になったのは間違いない(笑)


そして、このアクセサリーという曲者に大枚を払うように、沼にハマるオヤジがここに居た(笑)