フジコさんの手、美しい音 | そよかぜのブログ

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数日前、残念なニュースが飛び込んできました。


丁度前日、フジコさんの演奏会生でやっぱり聴いてみたいな…

と娘から言われていた矢先でした。




実は私は数年前まで、フジコさんの来仙の際は演奏会スタッフとして何度かさせていただいたのですが、その時から感じていたのは、次は来れるかな、という感じでした…


ある意味大往生でもあり、最後、苦しむ時間が少なくて済んだかな…


だといいなぁ。。。






演奏会には、裏方で仕事をしたりチケットを切ったり、フジコさんの到着してからのお世話やら送迎や色々な方がいました。


当時から驚いていたこと、は、

お年なのに必ず当日に新幹線で来て会場入りし、リハーサルを少ししてから、本番が終わったら、30分もいずに帰る、という毎回でした。


え?泊まらないの?体力的にきつくないかな?

と最初はかなり驚きましたが、考えてみれば仙台東京間は、そんなにかからないので、ご自宅でゆっくり眠れる方をとられるのかなと感じていました。


京都にもお家があるとか。




どうしても現代の音楽界に苦言を呈したい、このままでは…という私の亡き恩師とは、同じ門下生だったフジコさん。



実は、こちらには書けない不思議な出来事が以前いくつかありました。私の恩師ではなく、その先生についてです。


それは、身近な方には話した事があるのですが、


私自身が驚きすぎた出来事でして、

いつかアメンバーのみに書くか書かないか…





ただ、とても不思議なことでもあり、年数を経つとその時のことを忘れてくる前に、、、


とても貴重すぎる出来事だったので、いつかどこかに控えておきたいなとは思っています。。。






話をフジコさんに戻します。


有名であるって大変だなぁと感じた事は、ひしひしと伝わってきた事がありました。


舞台上では、きちんとお辞儀をしてからのフジコさんの魂が一瞬にしてすっかり抜けたような様子を、私は察知しました。


本当はダメなんですが、一般の方で楽屋に来てしまって、写真を撮ろうとされていた方も中にはいて、、、




フジコさんの衣装や、絵本などのことで繋がっているフランスの家でのお留守番を頼まれていたりしたこともある、仲良しのお友達がこちらにいらして、私はその方とは沢山話しましたが、ご本人とは話す事はやめました。


休みたい…放っておいてほしい…


が全身から伝わってきましたから。




最初は、その様子を見て、


だよなー、私も演奏会くたびれるもの…アドレナリンが出て少しは興奮状態だから、対応はできるけど、お年を召して遠方から来て、またとんぼがえりの方に、やるべき事ではないかなと感じ…


楽屋でも、話はしたことがありません。




重要な役目をしているスタッフには個人写真を撮ってあげたりしましたが、私は大丈夫です、と遠くから見るだけにし、控えてました。


その様子を見ていたスタッフが、次の会の時に、私に花束をあげる役目をさせてあげてほしい!とわざわざ実行委員長に頼んだのだとか。





本当は物凄いファンでしょ?っと…


明日、プレゼントがあります!

とそのスタッフの方に言われていましたが何のことか行ってからその事を伝えられ…


あの日のスタッフの優しさ、気遣いにも泣けましたが、その時のフジコさんの手が実は今でも忘れられません。


スタスタと歩いて花束を持っていき、

そのままお辞儀をして帰ろうとしたら、、、


花束の下から手を出してくださっていまして。。。


鈍感なもので、私はちょっとの間全く気づかなかったのですが、


えーと、ピアニストと握手したのって、小学生のブーニン以来か?と思っていましたが、


今までの数ある握手の中で、1番ふわふわしていて、手が大きく優しい、いや、ちょっと人間離れしていた手でした。


神の手。


というのがふさわしいでしょうか…




ふわふわ、とろとろ、優しい温かい手なんです。


なんだったんだろう…



と、呆然と夜中もじんわりと思い出すほどで、


手のぬくもりの中に感じた


『気』


の中には、


選ばれた人にしかない奇跡の手でした…🖐️🌟




神様の使いではないかな??🤔

芸術を通しての…




そんな感じをとても受けました。


自分の手を見つめて…



また別な機会の時に演奏会を聴いてフジコさんの奏でる音を頭に残っている状態で

翌日何をしたかっていいますと、


あの手のようにはなれずとも同じくあんな音が出せるように少しでもなりたい。と思いました。


どうあがいても無理なのは承知の上です。


で、、、私が試しにやってみた方法。


分厚い手袋をはめて弾いてみた笑😁🤣


いや、あの大きさは私が持ってる手袋しか実現できませんでしたし、無駄なあがきだとは百も承知です。


それを、たまたま真剣に手袋はめて音を出していた時、母が入ってきて、


あんた、、、

何やってんの?❓😑



って言われました。🤣




いや、、なるかどうか試しにしてみたかったんですよね。

でも、手袋はめて、手袋のクッションもあって、

少し音が変わるか、、、


と思ったんですけど、やっぱり手袋のスカスカ具合いではだめならしく、


いつもの私の音とほとんど変わらなかった…🤣






ちょっとここからは専門的な話になります。


音、とはどのようなものであるということを、ピアノの先生方はだいたいご存知だと思いますが、

私の亡き恩師が話していた内容は以下です。





骨と肉のバランスで音が作られる…

指の太さや長さ、腕の太さ、骨格、その人の体が持つもの、感性含めて全てで音が作られる。

だから、同じ音を出そうと思っても似てる人ならできるが、まずは、指を寝かせたり立たせたり、角度の問題、または重心等、少しならば似せる事はできるけれども、まず、指と鍵盤の接触部分がどうか?だいたいは手の構造一つ全てで音はだいたい決まる。

芸術家にはそれぞれ与えられた使命があって、本当に上に行く人にはまず、生まれた環境や持っている手に至るまで、自分で決めてくる事が多い。得意な分野と、憧れてやってみたいけどやはりできない分野は、必ずピアニストにはある。

それでいい。得意な分野を伸ばすのが、その人の使命。





そんなことを話してました。


私はどちらかというと、細いです。







元々持って生まれてくるこんな音楽が好き!という気持ちにも、やはりその人の個性や音楽としての使命は眠っていると思います。


現在、あまり好きではないと感じる分野は私はやりません。



しばらく前からかなりしっくりくるけど、どうしてもできない曲があって。


シューマン、リストの、献呈。


です。


何年取り組んでるんだろ??と思うくらい近所の人は一向に先に進まないねぇって思われてるかなと思う、😁この曲。


他の楽器との伴奏でして以来、これ以上に現在、しっくりくる曲はありません。


ある時はラフマニノフの2番の協奏曲でしたし、またある時はモーツァルトだったり、もするのですが、


シューマンを何曲か伴奏でやって更に、シューマンを何故研究しようとしたか、昔の恩師の気持ちがよくわかるようになりました。




シューマンって本当に難しい…


どう難しいか?


精神的に重い深い感じをどう、

自分の精神と一体化させてやるか。。。





以前ホスピスで演奏をしていた時、

ある患者さんのご家族が、


あの方にピアノを教えて欲しい…


と言ってましたよ?あなたのシューマン、とても

気に入ったらしいです。。。


と、そこにいたシスターに言われました。




たしかにその曲は、ホスピスで演奏するにはぴったりの曲だったかもしれません…




精神的な重さ、悲しみから地上を見上げたいけど疲れているのも事実、でも安らかな天国を感じたい…


そんな気分の人を静かに癒し、共感して寄り添う曲でもあり。






当時苦しみつつも、あーうまくいかん!!


と何度も練習しては、

当時のシューマンの心境がわかってきた曲でした。





とにかく難しい…



というか、半端なくエネルギーを使う曲…



おまけにフィンガーペダルを使ったりしつつ、高揚させないように仕上げたその曲は、

たいして技術的に難しくはないのですが、音が少ないのに、どこを響かせたらより素敵な響きになるか?等、とにかく本番でも疲労感半端なく気を使いました。


なんなら、伴奏何度もした中で、1番難しい(精神の持っていき方が)だったです。



何度も合わせをして、何度も演奏会で弾きましたが、正直、一度も納得いかなかった…です…






ただ、それ以上に、献呈、、、


そのまた


上をいってます。





私が感じる献呈、


なんですが、


全く、、、できません。




最初から、全然自分の脳にある音、いや心にある音が全く出せない…


どうしたらできるのか?






この曲、多分一生かかっても自分の理想の音、音楽に近付けられない自信があります。


でも、この曲は、ホスピスで演奏するのは合ってるかな…と感じる数少ない曲です。


いつか仕上げて納得がいったら…



ホスピスでこの一曲だけ弾かせていただいて、患者さんやご家族に寄り添えたら、、、素敵だろうなと、思いつついます。



コンクールとは、全く違う場所ですが、私は1番、ホスピスでひかせてもらった経験が、言葉では表せないほど勉強になりました…






演奏会場等とは、全く次元が違います。





皆さん、真剣に救いを音楽に求めているんです…(・・;)




それを無言で要求されるような、伝わってくるような舞台は未だかつて味わったことがなかったので、かなり、目が覚めた感じで…


あの空間は、本当にある意味、天国のステージでした。



私は、今まで何やってきたんだろう?…と。

考えさせられ、



フジコさんとは似ても似つきませんが…






フジコさんが病院で弾いていたことがあり、


そこからもあの豊かな魂の音楽は出来上がったんだろうな。。。そこを通過したからの音楽…っていう感じが、私はとてもします。




本当の芸術って何なんだろう…








現代の傾向は、なかなかフジコさんのような方がいませんでしたよね…だからか、残念がる人が多いのかもしれません。







それには、以下のような傾向があるからなのかもしれません。


ある場所に以下のようなことが、書かれていました。



フジコさんは昔の演奏スタイルを現代でも使っていることが、よくない、と言われてしまう所以である。

現代の基準からは外れているからである。

まず、現代のピアノ演奏はメカニックの面での技術革新が進んでいます。

1970年代、ポリーニ、アルゲリッチ等らへんからメカニックに重きをおいたものが、主流になりだし、技巧を一段引き上げた演奏が主流となった。


そのため、現在はそのような『上手い』演奏を聴いて育った若手が、更にメカニカルな安定度を競っているのである。



なるほど…



フジコさんは、以前、ショパンのエチュードの25全て弾いていた演奏会の時もありましたが、豊かな演奏で、あのお年で、そのエネルギーはどこに潜んでいるのか。?本当にすごいと思いみてました…






何故、20年もの間、多くの音楽をしていない一般人からも人気で、毎回満席でチケットがとれない状態が続いていたのかというと、





それは、単なるメカニックが際立ち、

すごい!素晴らしい!と頭でわかる感動とは別に、



人間が求めている、心、魂の深い部分まで浄化されるような、自然と涙が出てくる温度のある演奏、だった為なのではないかなと思います。





感動しなければ意味がない…

心に響かなければ意味がない…




と私の恩師はよく伝えて来ていました。





身体じゃなくて、魂で弾いてる…




芸術とは、、、








それは、フジコさんが、教えてくれました。


ありがとう…

お疲れ様…



を心から言いたいです。



この時代に生まれて生で聴けたのは、本当にラッキーでした…