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父親の思い出は、小さな頃トラックに僕を乗せてくれた思い出だけ。

まさに夢って感じで、肝心の顔がわからないってくだり。

母親の思い出は、とにかく苛立って怒っていた事。


僕は幼稚園の頃、一時イジメにあった。

多分。

っていうのが、こういう事だし

母親に実際そうだったか聞いてない。

あいまいな記憶で話す。

それ以外は、わんぱくな普通の幼稚園児。

これも多分。


そして小学に入り、野球を始めた。

勉強は人一倍やらされた。

両親を亡くした母親は、自分のような人生を過ごして欲しくないって

とにかく僕に勉強させた。

おかげさまで低学年の頃はなんとなく成績は良かったはずだ。

小学3年になる頃、バブル真っ盛りにスナックを営んでいた母親達3姉妹は、

見事にマイホームを購入した。

中学で両親を亡くし、学もなく死にもの狂いで働いてきた女3人がマイホームを買ったんだ。

今になってはその凄さが分かる。



これに伴って、我が家は引っ越し。

隣の小学校の地区に。

それで僕は転校したわけだ。

それまでは普通の野球少年。

でも、多分人一倍目立ちたがり屋だったはずだ。

何でも率先してやっていた気がする。


そこに一人のマセガキが現れる。

名前はHだ。

こういうのを偶然っていうんだろうけど、

僕から言わせれば、定められた運命、宿命

血を争えないのと一緒で、人生は似た者同士が出あうように仕組まれている。

多分、こういうのを必然って言うんだろうな。


さて、必然的にであったH君。

彼は僕に出会い、開口一番に

「K君、ジャージはダサいよ。HIPHOP系のファッションにエアジョーダンを履こうよ」

そう言った。

野球少年だった僕にはどれもちんぷんかんぷんな話で

ただ、子供の時間の進み方ってこういうもので、

大人になると、何かと大義名分たてなきゃ友達を作る事もできなかったりするが、

子供は、子供の世界の法律で時間が流れて行く。


その法律で、なんとなく僕らは一緒に居るようになった。

幸い、勉強以外だったら何でも好きになれたし、H君の言うHIPHOPは

どうやらバスケをしなければならないらしい。

体を動かすことが何より好きだった僕には、何も抵抗のない話だった。

こうしてH君と毎日バスケとファッションにあけくれる。

当時、アメリカのバスケットの神、ジョーダンが大ブームでバスケは目立っていた。

マンがスラムダンクが始まったのもこの頃だ。

目立った所には目立ちたがり屋が集まる。

そういう人間は学校の中で1番目立つグループになるものだ。

まぁとにかく、そういうグループに属し、そういうマセガキと共に小学生活をしていた。



もう一つ、欠かせないのが恋。

確か4年生の頃、僕は恋をした。

相手は美人な顔の頭のいい女の子だ。

どこにでもあるべたべたな話だけど、僕にとってはそんな一言で済ませられる問題じゃなかった。

明けても暮れても頭の中はその子の事ばかり。

僕は決心し、ラブレターを書いた。

なんとなく覚えてるけど、叔母のレターケースからこっそりレターセットを盗み

予備の分が無くなるほど買い直したのをよく覚えてる。


そして手渡した。

確か給食の前に。

えらく緊張したのを覚えてる。

もうどうなってもいい、そういう感じだった。

多分、この年頃の男なら経験のある出来ごとの一つじゃないかな。


やがて返事がきた。

相手も手紙でだ。彼女の親友の女の子が僕に渡してきた。

手紙には

「2月14日の〇時に〇〇公園にきてください」

宝くじが当選番号とラスト1ケタを残して合致しているのに、最後の数が見えない

そんな感じだった。

2月14日=バレンタインデー=女の子が男の子にチョコ=私も好き

この式が一般的だろう。

でも当事者っていうのはそれで終わるわけがない。

2月14日=バレンタインデー=女の子が男の子にチョコ=義理チョコでせめてものお礼

もしくは友達たちを呼んで皆の前で僕をふり、笑モノにする。

右も左も分からない男には迷い道の行き先など無数にある。