Everybody 's happy nowadays
初の音楽ネタです。
基本的に洋楽オンリーです。
ええと・・
以前から話題になっていた、「El Presidente」のアルバムを試聴してきました。
聴いてみた感想としては、Scissor sistersっぽい感じを受けました。
ディスコ・ロックって書いてありました。
最近流行の踊れるロックみたいなやつですね。
フランツ・フェルディナンドとか彼ら以降に出てきた、braveryとかブロック・パーティーみたいなバンドですね。
しかし、ボーカルの声の高いこと(イギリスのバンドではそこまで珍しくもないですが)!!
Led ZeppelinのRobert Plantよろしくの超高音ヴォイスです。
因みに僕の好きなヴォーカリストは、元クーラ・シェイカー(現ジーヴァス)のクリスピアン・ミルズです。
あの声はたまらない。
あと、元スミスのモリッシーの声もイイですよね。
ストロークスのジュリアンの声も好きです。
あのダルそうな声。
で、El Presidenteに戻りましょう。
はじめの四曲くらいはかなりよかったです。
独特な感じで。
グラスゴー出身のバンドがディスコやるとこんな感じになんのかなーって結構新鮮に聴いていました(Scissor sistersもグラスゴー?)。
でも、それ以降はマンネリな感じを受けました。
同じような曲ばっかだなー
って。
それよりも、今日よかったのは、
「Timid Tiger」ってバンド。
とりあえず、ジャケがかわいい・・・。
音はというと
うーん
こういうバンドなかなかいないんですよね。
気になる方は、HPでPV見られます。
着ぐるみウサギ(?)とハンター(?)の戦いが見られます。
どんなジャンルが好きな人に薦めればいいのか悩みましたが、おそらくKILLERSとかが好きな人はいけると思います。
思いっきりピコピコです。
でも、PV見る限りでは、ちゃんとしたバンド組んでます。
僕の大好きなバンド、of montrealが好きな人もいけるような気がしますね。
ほかには、アキ・カウリスマキ作品に出てきた「レニングラード・カウボーイズ」好きの人(いるのか、そんな人?)。
ドイツ(もしくは東欧)のバンドらしいです。
東欧は詳しくはないですが、space kellyみたいなすばらしいpopを聞かせてくれるバンドがいるくらいですから、もっと注目してもいいのかも・・・。
うーん、このノリ好きだなぁ。
- Timid Tiger
- Timid Tiger & A Pile of Pipers
ちょっとした発見
ブログをプラプラ散歩していたら、こんなブログに出会いました。
<西垣のオートポイエーシスの使い方は、ちょっと雑ではないか、と感じている。というのも、オートポイエーシス は、入力系も出力系もなく、個体というのはシステムの排出物に過ぎないというのが特徴だからだ。それゆえに実は自分には全く理解不可能な世界なのだけど、ここに他のシステム論との違いがあるのではないか、と思う。>
いえ、別に僕が西垣先生の考え方に傾倒(といっていいでしょう)しているから、「そうじゃない」とか反論するわけではないのですが・・(反論しろって?うーん・・。僕にはむしろ、このようにしか「世界」を理解できないんですよね。)。
前回書いた記事(『僕の東京物語』)の結論が、オートポイエティックだったことに気づきまして。
残念ながら、頭のほうがよろしくないんで、無自覚に思考しておりました。
その部分はココ。
<「死ぬ」ことが出口だなんて嘘だなとおもったからだ。
「生きる」ことも、「死ぬ」ことも
入ってきて、出て行く、その部屋の中なのではないだろうか?
別にどこかの入り口から入ってきて、出口から出て行くのではなくて、部屋の中で生成し、そして部屋の中で消滅する。
そんな気がする。>
つまりは、「生」や「死」を包含するシステムは
「閉じたシステムであるということ」
です。
それだけで、特に何か思いついたわけではありません。
「しかし、ダメだなぁ・・」
と反省の意をこめて、書いただけです。
本当は、
<「クララ」が「立った」のか?>
というアルプスの少女ハイジについて考えた記事を書くつもりでしたが、脳みその調子が悪いので、やめました。
機会があれば続きを書いてみたいと思っています。
パソコンの修理費十万九千円でした。
九千円自腹です。
っていうか、明細送るって言ってたのに、ぜんぜん送ってこないし。
まったく、困ったもんです。
lenovoのHPでみたら修理中ってなってたけど、明細を送った後に修理しますって言ってたくせに嘘かしら?
HDのデータのことで電話するってのも嘘だったっぽいし。
何はともあれ、僕のPCが早く帰ってくることを祈るばかりです。
僕の東京物語(「出会い」と「別れ」)
東京に住んでからもうすぐ三年がたつ。
東京に来る前の僕は、ただ都会に憧れる、田舎の少年だったと思う。
大学一年生の時は「大学の授業とはサボるためのものだ」と勝手に思い込み、授業をサボることは日常茶飯事だった。
大学に行く代わりに予備校に通った。
別に仮面浪人というわけではなく、ただ受験生としてやり残したことを清算したかっただけだ。
代ゼミでタダで授業が受けれるということだったので(特待制度)、一年間タダだった。
世界史と地理を主に勉強した。
世界史は高校の授業で少しだけやった。
産業革命以降から第二次世界大戦まで。
なぜ、僕が世界史を学ぼうとしたかというと、主に次のような理由だ。
<どうして、9.11のテロや戦争が起こるのか?>が知りたい。
幸か不幸か僕は広島に生まれた。
小さいころから戦争について、原爆についてこれでもかというくらい聞かされて育った。
僕は平和な世の中を構築したいという願いがないわけではない。
でも、それほど強いわけでもない。
じゃあ、なぜテロや戦争が起こる仕組みが知りたいのか?
答えは簡単だ。
それが人間の本性のような気がしたからだ。
僕はただ純粋に人間とは何かということが知りたいだけなのだ。
世界史を学ぶことは、少しだけ僕の疑問に答えてくれて、同時に僕が次の段階に行かなくてはいけないことを示唆してくれた。
つまりは、歴史を学ぶことは、人間の過去の過ちについてその経緯を教えてくれるし、これから起こすであろう人間の過ちを防ぐための方法を生み出すことの役には立つかもしれないが、なぜ、人間がそうした過ちを犯すのかは教えてくれない。
そういうことだった。
『大国の興亡』を読んでも、なぜ、大国を興亡させるような性質を人間が持っているのかはわからない。
一年間世界史を学んで僕が出した結論がそれだ。
世界史を学ぶことは、ある種「文系の医学」を学ぶものなのだと思った。
僕が学びたいのは、医学ではなく、理学だった。
誰かを救いたいわけでも、
誰かの役に立ちたいわけでもない。
ただ、知りたいのだ、「本当のこと」が。
そこにどこまで近づけるのか?
確かに限られた人生の中で、限られた能力の人間がやることだから、たかが知れている。
ゴールがどこかもわからないマラソンみたいなものだ。
でも、人生を賭けるだけの価値があるのではいか?
そんな気がした。
大学一・二年生の時にそれだけのことを考えていたわけではない。
実際には、大学院に進む気なんてまったくなくて、就職して、ただなんとなく生きていければと思っていた。
でも、なんだかモヤモヤしていた。
何度も自分を納得させようとしたが、無理だった。
実は、そうした中で出会ったのが、西垣通先生の『基礎情報学』だったのだ。
それまで、西垣先生のことを知っていたわけでもないし、小説以外はあまり本を読まなかった。
たまたま訪れたHPで、「脱領域型の分離融合型の少々オカシナ人間です」と書かれたプロフィールに不思議と惹かれ、そして、読み、「こんな学問があるのか」と純粋に驚き、興奮したことを今でも覚えている。
『基礎情報学』からいろいろな分野に視野を広げ、結局、「理系的」な分野に進むことに決めたが、いまだに僕は学ぶにつれて、「あぁ、あの本に書かれていたことがこんなところにも関係しているなぁ」と感じることがしょっちゅうある。
この本を読むまで(それは同時に、「情報社会論」という授業をうけるまでということも意味する)、パソコンがまったく使えず、完全に「デジタル・デバイド」の餌食になりかかっていたのだが、今では、それなりのプログラムは書けるし、コンピュータの中身も多少はわかる。
大きな出会いだった思う。
僕は人との出会いをあまり大切にしない。
<入り口から入ってきたら、出口から出て行かなくてはいけない>
と思っているからだ。
「別れる」ことが前提とされているのに、「出会う」必要がないと思っていた。
<「死ぬ」ことが前提とされているのに、何で「生きる」必要があるのか?>
という問いと根本的には同じだと思っていた。
でも、最近そうではないのでは、と思い始めた。
「死ぬ」ことが出口だなんて嘘だなとおもったからだ。
「生きる」ことも、「死ぬ」ことも
入ってきて、出て行く、その部屋の中なのではないだろうか?
別にどこかの入り口から入ってきて、出口から出て行くのではなくて、部屋の中で生成し、そして部屋の中で消滅する。
そんな気がする。
だから、出会いだってきっとそうなのだ。
「出会う」ことと「別れる」ことは、別に「始まり」と「終わり」ではないのではないか。
その部屋のなかにいる限り、「出会い」も「別れ」もどこにも行かず、ただ「生成」し、「消滅」する。
確かに「消滅」するかもしれないが、その部屋にいる限り、「生成」し、「消滅」したことの「記憶」(これは部屋のどこかに保存されている)が「生成」する。
そうした、「生成」と「消滅」の「過程」が「生きる」ことなのではないか。
「出会う」ことも「別れる」ことも、「生きる」ことの一部なのではないか。
僕はそんな気がする。
グラスホッパー
プログラミングの課題も終わり、気が抜けてしまったので、元気を出そうと思い、小説を読んでみました。
伊坂幸太郎『グラスホッパー』を読みました。
とりあえず、著者の名前は知っていたのですが、何者なのかは露知らず、何者であるかよりも何を書くのかの方が小説家にとって重要なのではないかと思い、この機会に読んでみました。
はじめは、
「何だよ、事件解決物語かよ」
とがっかりしていたのですが、
登場人物の鈴木・蝉・鯨がなんともいえない奴らなわけです。
鈴木は亡き妻の復讐のためにヤバイ会社に入った一般人。
蝉は岩西という男とつるんで殺しをやっている殺し屋。
鯨は依頼された人物を自殺させる「自殺屋」。
彼らが、「押し屋」をめぐっててんやわんやする物語なわけです。
で、僕が一番印象に残った台詞は
鯨の
「人は誰でも、死にたがっている」
という台詞。
実際、この小説の中では、鯨に会うと、みんな自殺するわけです。
少し抵抗した後に。
うーん。
誰でも、自殺するだけの理由をもって生きているということでしょうか。
それと、この小説でかなり重要な存在である、「劇団」に考えさせられました。
ネタバレするので詳しくは書きませんが、僕は、この世界に住んでいる僕らはある種「人生劇場」の中の「劇団」員なんではないかと思いました。
だってそうでしょう?
自分以外の人間が、例えば自分の両親が本当の両親である保証なんてないじゃないですか?
彼らはもしかしたら、両親を「演じて」いるかもしれないわけです。
何も知らないのは自分だけ。
周りの人間は僕が劇を「演じて」いないことを知っていて「演じて」いる。
その可能性はあるわけです。
実際、この小説の鈴木は「劇団員」にまったく気付かず、すべて「本物」のように感じてしまいます。
(以降、やっぱネタバレしてみます)
鈴木の追いかけた「押し屋」の家族が実は「劇団」と「押し屋」の芝居なのですが、鈴木はそこに家族を見出します。
そして、さらには、自分の(あったかもしれない)家族を想像します。
ここで、思うのは、
「家族って何よ?」
ってことです。
だって、彼ら「劇団」員は「家族らしく」振舞っていただけなのに、一般人の鈴木には本当の家族に見えたわけです。
つまりは、赤の他人でも、「家族らしく」はあれるということです。
つまり、「家族」を「家族」たらしめているのは「家族らしさ」ではないということに気付かなければならないのではないでしょうか?
僕の個人的な意見としては、「家族」なんてものは「存在」しておらず、僕らはみな「他人」なんだということです(非難されそう・・・)。
でも、僕は家庭内暴力なんて、まさにそこらへんにも問題があるような気がしてならないわけです。
「家族」という「存在」していないものを自ら「所有」している気になって、その家族の構成員にたいして「自分の所有物なんだから」という理由で暴力を振るう。
もし、家族の構成員が「他人」なんだという意識があれば、そんなこともないでしょう。
まぁ、「他人」と言ってしまうとなんだか悲しいのですが、せめて、特別な「所有」物である(絶対的存在)であるという風に考えるのはいかがなものかと思うわけです。
昭和の時代にこんなことを言っていたら、結構ファンキーなんですが、今の時代ですから、結構「そんなことわかってるよ」って人も多いでしょう。
人がバンバン死んでいく「なんだかなぁ・・」って小説ですが、読んでみる価値は大いにあると思います。
- 伊坂 幸太郎
- グラスホッパー
映画という方法
- 昨晩、テレビ朝日の『虎の門』という番組の「こちトラ自腹じゃ」という井筒監督が自腹で映画をみて批評するというコーナーで『ホテル・ルワンダ』という映画の紹介をしていました。
詳しくは、Googleかなにかで検索すると、いろいろ出てきますのでそちらのほうを参考にしてみてください。
どうも、この映画は政治色が強くて日本の配給会社が全然乗り気ではなく、ネット上で日本公開を求めた人たちによってやっとのことで公開にこぎつけたという作品だそうです。
「これは見なきゃだめだな」
と思い、今日上映している映画館を探してみました。
どうも、「シアターN渋谷」という映画館でやっているそうです。
見てみたら、「旧ユーロスペース何とか」って場所にあるって書いてありました。
ユーロスペースといえば、ミニシアターで有名ですね。
ついでに
「最近ユーロスペースで何やってるんだろ」
って見てみたら、なんか、移転してました。
渋谷のど真ん中に。
どうかなぁ・・。
以前あった場所、気に入っていたので。
残念。
ユーロスペースもポピュラーな方向に流れていくのかな。
やだやだ。
ここは去年『トニー滝谷』も上演していました。
僕は新宿の映画館に行ったのですが。
因みに、移転前イベントやっていたそうです。
ヴィアリー・カネフスキーの『動くな、死ね、甦れ!』
や
フランソワ・オゾンの『焼け石に水』
さらには、
僕の好きなアキ・カウリスマキの『浮き雲』が上演されたそうです(アキ・カウリスマキが最後!!)。
なんとまぁ、渋いセレクトなんですかね。
さっき、僕の左に座っていた男の子たちが『オリバー・ツイスト』の話をしていました。
「全然感動できないんだけど」
ですって。
今度は『ホテル・ルワンダ』に感動を求めに行くみたいです。
ミニシアターは狭いから嫌だとかのたまっていました。
やれやれ。
結局彼らにとっては映画とは「癒し」なんですね。
「感動した」
といえればいいようです。
映画を見て「考える」気はないようです。
完全にハリウッドに毒されちゃってますね。
娯楽としての映画。
アクションシーンをドカンとやれば
「すごかったねー」
で終わり。
世界の中心で愛を叫べば、
愛が何かを考えるのではなく
「感動した」
で済まされるわけです。
誰かが傷つき、
誰かが死に、
誰かが悲しめば
「感動した」
で終わりです。
ユーロスペースがそんな人たちが行くような映画館になってしまうのではないかというのが気がかりです。
もう、映画を愛する人が行くような映画館は必要とされていないのでしょうか?
大衆化されすぎた現在の映画業界とそれにのせられてはしゃいでいる人たちに僕はうんざりです。
- ビデオメーカー
- トータル カウリスマキ DVD-BOX
課題終了!!
やりました!!
PCが壊れて、出来ないのではないかと心配で一昨日の晩から眠れなかったにもかかわらず、何とかプログラミングの課題が出来ました。
わーい。
大変だったな、この授業・・。
年末もこの課題に追われてたわけですし。
残すところ、課題はあと一つ!!
二月九日午後五時が締め切りです。
PCは帰ってこない、と・・。
しゃーない、大学でやりますかね。
そろそろ、研究室訪問のアポ取らないと。
大学の先生って、今、卒論云々で忙しいんですかね?
相手にして貰えるかな~?
ってゆーか、
「何・・?」
みたいな態度とられたら凹むな・・・。
Wellcomeなムードで出迎えてほしいものです。
大学がそろそろしまるのでここら辺でお開きです。
帰りにジュンク堂によって、甘利俊一先生のトークセッションの申し込みしてこようかな・・。
今夜は冷え込むなぁ・・。
Good-bye, My PC
一昨日パソコンが壊れてから、今日午後に僕の手元からどこかの工場なりオフィスに旅立っていきました。
何が困るって、大学の課題です。
プログラミングの課題(2月5日締め切り)が残っているにもかかわらず、現在手元にPCがないわけですから。
うちの学科の授業ではないので、逆に手は抜きたくないんです。
「学びたいものを学ぶ」
これが僕スタイルです。
学問を真剣に学び、真剣に楽しむのです。
しょうがないので、今日も大学でプログラムをいろいろ書いてはコンパイルしてました。
やれやれ。
何とか、あと一歩のところまで完成しました。
日曜日にはJavaをコンパイルできる環境が手に入らないので、期限は明後日までです。
家では、しょうがないのでプリントアウトしたプログラムを読みながら手書きでプログラムを作成し、頭の中でコンパイル・実行させています。
なんだか、本職の学科の人たちでも大変な授業を取ってしまったようです。
でも、めちゃくちゃ勉強になりました。
こんなにプログラムをいじったの初めてです。
ところどころで
「こういうことだったんだ!!」
という発見がたくさんありました(入門書で読んだものの実感がわかなかったところとか)。
やっぱ、学科間違ったかな(笑)
ま、どこにいてもしぶとく・いじけず・くじけず・アウトローに生きてゆきたいと思っております。
皆さんも、不遇な境遇に立たされても、他人から評価されずとも、くじけず頑張ってください。
アウトローも案外楽しいもんです。
東京は雨降り。
昨晩から東京では雨が降り続いております。
昨夜は卒論発表を聞きにいって(仕方なく)、その後、試験の打ち上げを行いました。
ま、そんなことよりとんでもないことが起こりましたけどね。
なんと・・・
パソコンが壊れました。
いや、完全に自分のせいです。
もろに落下させてしまいました。
一応10万円までは保障が効くといわれたのですが、HDのデータが消えていることが心配。
たぶんダメだろうなぁ。
思いっきり落ちたもの。
データの復帰はしてくれないっぽいです。
HDDの交換はしてくれるみたいですけど。
これでデータが無事なら、今後IBMのPC以外を購入することはないでしょう。
最近はまったくいい事なしです。
やれやれ、もうこれ以上書く気力もございやせんよ・・・。
ライブドア
昨晩ニュース23に立花隆さんが出てました。
相変わらず、ニュース23はいい人出しますよね。
立花さんに「ホリエ的を問う」わけです。
そりゃ、問いたいですよね、立花さんに。
何て言うのかなぁって非常にわくわくしながら見てました。
試験?
試験勉強より大事なものがあるのです(因みに今日の試験結構できました!!)。
で、中身。
まず、一連のライブドア事件とロッキード事件の類似性を語っていました。
悪いことをやっているやつはみな同じだ、と。
堀江の手口と田中角栄のやり口は似てるらしいです(ロッキード事件のことをよく知らないのでなんとも言えませんが)。
あとは、「ブラックマネー」と堀江の関係。
なんか、暴力団との関係も指摘されてるとか。
でも、叩きゃ出てくるんしょうね、そういう話ってどこの会社でも。
誰かに狙われたのかな(昔警察庁にいたKさんとか)?
ま、とはいえ、実際違法行為をやっていたことは事実っぽいので罰せられるべきなんでしょう。
そういえば、ライブドアに関しては、東浩紀さんが「ライブドアとオウム?」という記事を書いていて、面白かったです。
実際、僕も東さん同様に若者の世代交代への熱意が冷めてしまうのは悲しいものだと思っています。
東さんは「堀江逮捕については世代でくっきり反応が分かれる」というマスコミの報道に「ホントかよ?」という疑問を投げかけています。
僕は、比較的世代でくっきり反応が分かれているもののように感じていました。
というのも、フジの日枝さんと堀江氏の対立構造がメディアで大々的に取上げられ、その意味付けとしてまるでモダンな団塊世代とポストモダンな団塊ジュニア世代の対立という構図であるかのような印象を与えられていたからかもしれません。
<「人の心はお金では買えない」日枝(貧しい日本を経験している道徳的価値観に重きを置く団塊世代)vs「お金で何でも手に入る(っていうか、なんだかんだで大体は買える)」堀江(高度消費社会で大量生産されたものを淡々と消費してきた団塊ジュニア世代)>
みたいな。
実際、例えば森田実さんがライブドアのフジ買収に反対していたときに、やはり森田さんは戦前生まれでモダンで保守的な方だから、こういった変化(世代交代)を嫌うのかな、と思っていました。
そんな中で、確かに僕自身堀江氏に世代的共感を感じていたような気がします。
でも、恐らく僕はオウム事件があった1995年当時に20代の若者であったとしても、麻原にオウムに世代的共感は感じなかったでしょう・・・。
いや、ホントにそうか?
僕が評価していた堀江の部分・側面というのは何か?
正直僕は彼に対して、「なんてミーハーな奴だ」と思っていました。
それでも彼に嫌悪感を抱かなかった理由は、そんな「ミーハー男」でも行動力さえあれば何かを成し遂げられるという希望に対するものだったと思います。
だって、ニートとか引きこもりに比べて実に生き生きしている"ように見える"じゃないですか?
しかし、だったら、麻原だってそうなんじゃないか?
確かに、頭に付ける何とかって装置とか空中浮遊だとかいうへんてこりんなことをしていたから、恐らく僕は麻原に共感を感じなかっただろうと言えるが、「ただひたすら考える」みたいな(?)もっと「いかにも本質的でありそうな何か」が感じられるような宗教団体だったら、もしかしたら共感していたかもしれない(でもやはり確率は低そう)。
問題の核心は、僕は「新しい動き」を常に待っている、ということだ。
そんな未来への切実な願い(一見もう失われてしまったかのような希望)が今の若い世代にウケたのかもしれない(すごく陳腐な結論だが)。いつの時代でも若者はほんの僅かな希望にでもかけてみたくなるのだ。そんな中で、東さんのような「本質」を見抜ける若い世代の一部の人間とモダンな人間が堀江に対して結果的に正当な評価を下したということになるのかもしれない。この件に関しては、もっといろいろな人の意見を聞いてみたいと思っています。
引越と試験
ええと・・。
引越しを決めたにも関わらず、部屋が決まりません。
昨日決断した部屋も「申し込みが入った」って。
あーあ。
やだやだ。
大変なんですよね、「部屋探し」。
試験勉強もしなきゃならんし。
現実逃避から一転、何故だかやる気が出てきて、あの後、黙々と勉強してました。
残すところあと二科目。
今日の試験「熱力学・統計力学」はバッチシでした。
この先生の授業は面白かった!!
是非ともまた受けたい感じです。
明日の試験も非常に力を入れている科目なので(レポートをがんばった)、是非とも試験もいい結果が出せるようにがんばりたいと思います。
それが終われば「春休み」!!
ではなく・・
レポートを二つ終わらせて、関西に研究室めぐりに出かけたいと思います。
勿論東京の研究室も。
三月は物理とコンピュータの勉強でもしますかね。
あとは、買ったけど読んでない本を読む。
大澤真幸先生の「恋愛の不可能性について」
郡司先生の「原生計算と存在論的観測」
ヤンツの「自己組織化する宇宙」
多田富雄先生の「生命の意味論」
などなど、多数の面白そうな本ばかりが待ち構えています。
映画も観たい。
何か面白い映画あるかなぁ。
去年の春休みに「トニー滝谷」を見たのが懐かしいです。
あぁ、今日はいい天気だなぁ・・。


