思考の冬・極寒の哲学 | GIRLS AND BOYS

思考の冬・極寒の哲学

1月のはじめに愚痴をこぼして以来のブログです。


実は一月の初めから結構長い文章を書いていたのですが、データを紛失してしまって、おじゃんになってしまいました。


まあ、いいですが。


ところで


寒いですね!!


いや、東京では雪こそ降らないものの、とはいえ実に寒いです。


そんな寒空の中、古本屋をめぐっていましたら、


なんと!!


郡司ペギオ幸夫先生の「原生計算と存在論的観測」を発見いたしました。


*ちなみに、「内部観測」は12月中に読み終えました。


6300円くらいの定価ではさすがに手が出ないのですが、


3700円でした。


いや、それでも高い・・・。


悩んだ挙句、結局買うことにしたのですが、店主のおじさんが200円まけてくれて、3500円でゲットしました。


超ラッキー!!


そうなんです。


こういうときにやはり「ラッキー」って言ってしまうんですよね。


「ハッピー」ではなくて。


いや、じつはですね・・


昨日から大阪大学の鷲田清一先生の「死なないでいる理由」という本を読んでいまして、その中に、こんなくだりがあるんです。


<いつからだろうか、幸福な気分に包まれたとき、この国のひとびとは「ラッキー」と、Vサインを送るようになった>


言われてみれば、「確かに」です。


いや、実際今日古本屋で「ラッキー」って思ったんですよね。


その瞬間、「アッ」って。


この本、まだ全然読み進んでいないんですが、実に面白いんです。


こんなくだりもありました。


村上龍の「ラブ&ポップ」を引き合いに出すので、まずはその話題の場面を。


<今日中に手に入れよう、と決めた。大切だと思ったことが、寝ておきてテレビを見てラジオを聞いて雑誌をめくって誰かと話しているうちに本当に簡単に消えてしまう。・・・(ここで、「アンネの日記」のドキュメンタリーを見て感動したのに次の日には「JJ」(ファッション誌)を読んでいて「心がツルンとしている」自分に気づいた昨年の夏のことが語られる)・・・「アンネの日記」のドキュメンタリーを見終わって・・・自由に外を歩けるっての本当は大変なことなんだ、とかいろいろ考えて心がグシャグシャだった。それが翌日には完全に平穏になって、・・・心がツルンとして・・・自分の中で「何かが、済んだ」ような感じになってしまっているのが、不思議で、いやだった。今日中に買わないと、明日には必ず、驚きや感動を忘れてしまう。・・・>


この後、この子が援助交際をする、という話らしいです。


それを受けて、鷲田先生は


<これから起こることよりもむしろ<いま>というこの瞬間が刻々と消えていくことへのひりひり痛むような意識に見られるような、自己感情の同一性を維持することの難しさ>


というものを見出し、さらには


<じぶんの時間的な存在と空間的な存在とが、つまりは<世界の蝶番>がもろとも問題化してきている>


とおっしゃっています。


鷲田先生はこれらを「所有」の問題だとも言っています。


「自己(感情)の同一性の危うさ」みたいなものを論じるのは今の時代においては比較的容易かもしれません。


時代の変化が速くなり、物事も次から次へと変化していく。


情報化社会において情報は容易に複製・消去される。


そんな中で、自己の同一性が各々の人々のなかで揺らいでしまってもおかしくない。


といった感じで。


かなり端折ってますけど、「グローバル化」や「インターネット」による時間距離の大幅な短縮、バーチャルな空間における「自己複製的自己」の登場、みたいなことと絡めれば、もしかしたら面白いことがわかるかもしれませんね。


何はともあれ、少なくともこのような現実を受け止めなければいけないわけです。


こうしてブログをつけるということも自己同一性の崩壊に対する抵抗なのかもしれません。


今年は、このようにできるだけ自分の考えをアウトプットできるようにしたいと思っています。たまたま立ち寄った方、僕が誰だか知っている方、是非ともコメントの一つでも残していってください(これも自己同一性の確保のための他者の視線の獲得か!?)。


では。


郡司 ペギオ‐幸夫
原生計算と存在論的観測―生命と時間、そして原生
鷲田 清一
死なないでいる理由