前世でできなかった課題、つまり今世での課題というのは何か?
それが今僕が直面している課題そのものだった。
前世の自分は簡単に言えば自己肯定感がとっても低かった。
これは今世でも嫌というほど味わっている。
せっかく積み上げたものをどうしても崩してしまう。
崩さないと自分じゃないらしい。
自己肯定感というのは本来誰もが持っているものだと言っている人がいた。
けなされたり否定されたりすれば、傷つき腹が立つ。
自分自身を大切だと知っているから。
では、なぜ自己肯定感が低い僕がいるのか?
それは、自分を変えようとしてるから、そのままの自分を肯定できないからだそうです。
その言葉の通り、そのままの自分ではダメなんだと思い、変わろうとした。
そのままの自分でいいと思えないままだったらしい。
そこを学べず、ありのままの自分を認めることができずに自己否定をし続けた。
自分を自分で否定する辛さからか、休むことは学んだ。
思考にまみれて辛い現実から気を逸らしてはまた苦しむという繰り返しだったんだと思う。
今世の自分はというと、前世からの課題をそのまま持ち越している。
自己肯定感が低く、思考にまみれ、気を逸らしながら、そのままの自分を肯定できず否定ばかり。
ありのままの自分を認めるということができないと未完成な状態。
できること(簡単なこと)と言えば、自分の感情を鈍らせることくらい。
だから、自分の本当にしたいこともわからず、自分の声が聞こえない。
鈍らせたことで人に心を支配されることもあった。
鈍らせることで自分の意見はなくていい。
誰かの言うとおりにしていればいい。
ただ、自分の声は聞こえない。
一人になったら何もできない。
僕にとってできないこと(困難なこと)は、自分で手に入れた大切なものを手放すことができないということ。
もう持ちきれないくらいに持っていても、手放せない。
せっかくここまでできたのに、せっかく手に入れたのに手放すなんてできない。
「もういらないものだよ」と言われても、しがみついてる。
どれだけしっかり握っていても、スルスルと落ちて行ってしまうのに。
落としてしまって拾えないなら、諦めるために強がったり。
諦めきれず悔んだり。
そのままの自分を肯定できるまで繰り返し出てくる問題は、自分と他人との釣り合いについて。
異性であったり、友達であったり、先輩後輩、上司など、様々なかかわりの中で自分と相手の気持ちが釣り合ってるかどうかを僕は判断している。
僕はこれだけ好きなら、同じだけ相手に好きでいてほしい。
僕はこれだけやったなら、同じだけ相手にやってほしい。
僕はこれだけ、相手も同じだけ。
どちらかが多いといけない。
僕が多くて相手が少なければ、「もっとやってよ」と文句をいう。
僕が少ないのに相手が多ければ、僕がやってないみたいに見えてしまう。
仕事でも恋愛でも、釣り合っているかどうかが大切。
僕は釣り合ってるかどうかを気にしているとは、気づかなかった。
この問題に取り組む手段は逃げないこと。
僕はずっと逃げていた。
そんなつもりはないんだけど、逃げていた。
恋愛で言えば、お互いの気持ちが釣り合ってないなら終わり。
今までそれが僕にとって普通だった。
僕が挑戦すべき修業は感情を出し続けること。
それが相手に伝わるかどうかは関係なく出し続けるということ。
たとえ相手と釣り合いが取れなくなっても、逃げずに感情を出し続けることでそのままの自分を肯定できるようになる。
これが僕の今世での課題らしい。
リーディングしながら思ったことは、今僕がしている恋愛においてタロットに言われてきたことばかりだということ。
そのままの自分でいいということ。
感情を出し続けること。
今まさに僕の人生において大切な課題をやっているんだと知った。
ただ、前世でできなかったことを今すぐにできるんだろうか?
今からやっても何年もかかるようなことじゃないかなぁって思うけど。
できるだけやってみる。
やって良かったと心の底から思えたらいいなぁ。