せっかく積み上げたものを壊す自己破壊衝動。
今までどれだけのものを潰してきただろう。
潰すことに慣れている。
いつも最後はこうなっていくことを知っている。
どれだけ気をつけても。
壊れることが怖いんだけど、嫌なんだけど、壊すことが目的になっている感じ。
壊れたことで何処か安心しているんだと思う。
僕は大切なもの程、手放すのが嫌だと書いた。
今、手にしているもので手放したくないものはある。
だけど、数年経てばいらなくなるもの、手放しても構わないものが出てくるのはよくある。
例えば、去年まで大切にしてた服。
今となっては新しいものに目を奪われて、もうどうでもよくなる。
だから、今手放せないと思っているものでも、時が経てば意外と簡単に手放せるかもなぁと理解できる。
手放せるけど、放ったらかしにすることもある。
片付けたらええのに、そのまま。
そういうこともある。
どっちにしてもそれは後になって「いらない」と判断できるから手放せるのであって、「いる」と判断している時にそれができるのかといえば、やっぱり躊躇するし嫌だと思う。
手放す。
なぜできないと思うのか?
それはせっかく積み上げたもの、せっかく手に入れたもの、せっかくできたもの、を崩すことだと思ってるからではないか?
潜在意識に根付いた自己破壊衝動を嫌でも繰り返す僕は、失うことに慣れているけれど、本当は失いたくない。本当は失うことに恐れている。
手放すということは失うということ。
そう思えてしまうから。
だから、手放すことに抵抗があるんだろうか?
前世の僕は「そのままの自分」ではいれなかった。
自分を変えることで、何かを引き止めようとしていたのか。
ありのままの自分がいた。
自分のどこかを変えなければ、物なのか人なのかわからないけど、逃してしまう。
じゃああれを変えよう。
また、どこか変えなければ、逃してしまうのを知った。
じゃあそれを変えよう。
そうやって、いろいろ変えてしまって自分じゃなくなりました。
変えてしまったから自分自身が歪になって崩壊してしまいました。
何度立て直しても変わってしまった僕は歪なまま。
それが僕の潜在意識に根付いた自己破壊衝動というもの。
自分というものを壊し始めたのは自分だった。
ありのままの自分を何かの為に、誰かの為に、基準を合わせようとすることで変えようとすると、自分を壊すということになるんだと気づいた。
何度もカードが示す自己否定感はそのままの自分ではダメだと言い続けてきたということなんやな。
わかってきたけれど、またやってしまいそう。
自分の何かを変えて相手に合わせてしまうんだろうな。
だからと言って、それで幸せにうまくいくわけじゃないのに。
いや、全然うまくいかないんだから。
今までの自分のやり方じゃ行き詰ってるってはっきりしてる。
先月からいろいろ書いてきたけれど、結局タロットがアドバイスしてくれたみたいに、そのままの自分で貫き通せばいいということが僕の課題だと改めて思う。
それが自己否定をしないということであり、むしろ肯定することだということ。
否定せず、肯定すれば自己破壊しないということ。
崩壊しないということは積みあがって、いつか完成するということ。
もしも、自分を変えないと、手にできないことがあったなら、それはもう手放すしかないということ。
ありのままの自分でいられるのなら、手にできるということ。
毎日そこから逃げずに「自分」を守り続けるしか方法はないらしい。
ありのままの自分から溢れる感情を出しながら。