教会における牧師の役割とは何だろうか?


牧師という職には、「リーダーとしての奉仕者」というイメージがつきまとう。

「牧者=羊飼い」のイメージから来るものだ。


現代風にすると、パックツアーのツアコンという感じだろうか。

集団の前で旗を掲げて、皆が安全に旅を続けられるように導く案内人。

ツアーのメンバーは一様に"旅行ガイドブック"を持たされる。

しかし、それを読むよりは、ツアコンの解説を聞きながら、半分は寝ている(笑

時々、ハッとして目を覚ます。


こんなイメージを思い浮かべながら・・・・・

何かが変だ、と思う。

「牧者=羊飼い」にしても「ツアーコンダクター」にしても、イエス・キリストには当てはまる。

しかし、牧師という職には当てはめるとなると・・・・・・強烈な違和感がある。


理由は簡単。

牧師は、徹頭徹尾、「羊」「旅行者」の側にいるはずだからだ。

教えるより、教わる・・・・・

語るより、聞く・・・・・

導くより、導かれる・・・・・・

そうでないと、牧師の役割は務まらない。


それで、信徒とどこが違うのか?

どこも違わない。

確かに、信徒に対して、牧師は、教えるし、語るし、導きもする。

だからと言って、神に対する立ち位置まで違ってしまったら、務まらない。


「リーダーとしての奉仕者」・・・・・

「牧者=羊飼い」・・・・・

「ツアーコンダクター」・・・・・・

これらは、あくまでも、イエス・キリストに対するイメージでなければならないだろう。

牧師に対するイメージがそれと被るなど・・・・・

決してあってはならないことだ。


牧師は、その役職上、三位一体の神の権威を表す役割を担う場面が多い。

例えば、礼拝の最後の祝祷、聖餐式や洗礼式の司式、など。

礼拝説教を神の言葉として語るのも、そうだ。


だからこそ・・・・・

イエス・キリストの権威と牧師の人間性とに、少しでも重なるところがあれば・・・・・

神の側にある権威を、牧師が"あらわす"ことなど、できなくなる。

それが、牧師自身の権威のように受け取られてしまうからだ。


そんな牧師の役割を、牧師の側だけで全うするのは不可能だ。

教会として、神との関係の中で、牧師の役職への理解を深めなければならない。

それをするには、"牧師の指導"に従っていてはダメだ。


難しく聞こえる?

そんなことはない。

主に従う・・・・・

聖霊に導かれる・・・・・

クリスチャンなら当たり前のことを、お題目にしなければいいだけだ。