戦後できたイスラエル共和国は、
常に現代世界の問題の中心に位置してきた。
二つの世界大戦が起こったのも、
イスラエルの建国のためと見ることもできる。
ヒトラー、ナチス・ドイツも、イスラエルの建国のために大暴れして、
ユダヤ人をそれぞれの地域社会から追い立てた、
と見ることが可能だ。
50年代にハリウッドで聖書関連の大作映画が続けて撮られたのも、
戦争映画、文芸映画、ミュージカル、様々なスタイルで、
ナチス・ドイツ・バッシングが繰り広げられたのも、
イスラエルの建国がらみだった。
あの国ができるのに、
どれだけの犠牲と労力と資金が投入されたことだろうか。
結果論?
いや、
周到な計画がなければ、
そして、
それを支える確信と、
それを実行するための権力と資金がなければ、
世界中からユダヤ民族が結集することなど、
あり得なかっただろう。
先住民を押しのけて、一つの民族国家が建ち上がることなど、
あり得なかっただろう。
20世紀は、イスラエルを巡って、
神の導きと言うには、
あまりに強引に物事が進んでいった世紀だった。
21世紀は、そのためのひずみに苦しむ世紀となって始まり、
そのひずみはさらに拡大しているように見える。
旧新約聖書を読めば、
それが、ある面では、壮大な無駄骨だったのがわかる。
新しいイスラエルも、
破壊される神殿に代わる神殿も、
イエス・キリストによって預言されて、完成されているから。
聖霊の宮とされたクリスチャンの共同体が建ち上がったのが、
新しい神の民・新しい「イスラエル」であり、
イエスが三日で建てると予告した「神殿」だった。
20世紀になって無理矢理にやらずとも、
実は、1世紀には終わっていたのだ。
イスラエル共和国を建国した人々は、
エルサレムに第3神殿を建てて、そこに新たなるメシアを迎え、
自分たちの世界支配を確立しようとしているのだろうか?
しかし、
聖書の預言によれば、それは紀元70年には成就した。
ユダヤ戦争における、
エルサレムの破壊、ユダヤ人共同体の崩壊によって、
そのような神の審きによって、
旧い契約の時代は終わった。
これが「世の終わり」である。
この時、すべてが新しくなった。
「ユダヤ人の王」とは、イエスが死刑に処せられた時に、
その十字架のてっぺんに掲げられた罪状書きだ。
裁判官だったローマの総督・ピラトが戯れ言のようにして書かせたが、
ユダヤ人たちは、それを屈辱と感じて厭がった。
その言葉どおりに王となったイエスによって治められる世界が、
今のこの世界である。
とてもそうは見えない?
これは新しい「契約」であって、
イエスを王と信じて生きる者たちによって、
被造世界全体がイエスの王国として完成されるとの約束だ。
契約的に言えば、既に、この世界は神の国として定まった。
そして、契約は、
その担い手によって具体的に遂行されてこそ、意味を持つ。
今は、神の国・イエスの王国が実現しつつある時代なのだ。
今の目に見えている時代の様相に翻弄されていては、
新しい契約によって始まった「時代」に生きることはできない。
ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、
イエスは答えて言われた。
「神の国は、見える形では来ない。
『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。
実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」 (ルカ17:20-21)