「『
十戒』って、
 髭のおっさんが杖振り上げると海が割れる、あれ?」

それ映画の題だけど、まあ、そうかな。

実際は、その髭のおっさん(モーセ)が
神さまからもらってくる石の板に書かれた戒めのこと。

「そのどこが『愛』なの?」

ロマンのかけらも無い話と言われそうだけど、
聖書を読む限り、実際にそうだ。


ここでは一々説明しないが、
十戒の第1~4戒までが、神を愛すること、
第5~10戒までが、隣人を愛することの戒めとなっている。

だから、聖書では、「愛」とは「十戒」なんだ。


十戒は律法のエッセンスだから、
旧約聖書の中でも律法の書といわれるモーセ五書には、
様々なスタイルで、その具体的な内容が示されている。

「でも、イスラエルの民はそれが守れなかったんでしょ」

おおっ、判ってるじゃないの。


少しは話をロマンティックに進めるために、
男女の愛の話をしてみる。

最初のうちは、
相手が好き、相手も自分が好き、という程度で満足している。

そのうちに、二人の間に、他の人たちも交えて色んな事が起こりだす。

それらに対する相手や自分自身の対応から、
思ったほど愛されてないと、相手にガッカリしたり、
相手のことを愛せないんじゃないか、と自信を失ったりする。

結局、相互不信に陥るわけだ。


「ちっとも、ロマンチックに進まないじゃない!」

イヤイヤイヤ、
そうならないためには、どうしたらいいかって話だから。

どちらかが相手をとことん愛し抜けば、
その愛を受けた相手もそれに応えようとする。

「ふーん、ぜんぜん伝わらなくてダメになるってことも多いけど」

そのとおり!

聖書の場合も、一旦はダメダメになる。

イエス・キリストは十字架で殺されちゃうんだから。


でも、それこそが、神が人間に現した「愛」だったことが判る。

十戒・律法が守れない人間に代わってその罪を負った「愛」
だったことが伝わった。

まず、復活したイエスに会った弟子たちに伝わった。

彼らはイエスに愛されたことで本物の愛を知って、
イスラエルの民が失敗した「神と隣人に対する愛」、
つまり、「十戒」をやり直すんだな。

復活で知らされた永遠の命をもって、
新しく生まれることによってね。


やっぱりうまくできないことも多いけど、
本物の愛で愛されているから、
その愛に応え続けよう、他人にも与えようとする。

そうする時、神の愛がまたさらに与えられる。

これの繰り返し、連鎖で、神の愛が全世界に行き渡る。


「いきなりロマンチックな方に振り切れちゃったね・・・・」

うん。

でも、これ事実だから。