聖書には、複数の妻を持つ男性が数多く登場する。
妻の数の多さでは、筆頭はソロモン王だ。
1000人いたと書かれている。
ほとんどが近隣国家との和平のための政略結婚だったようだ。
一番ややこしい例はヤコブ(イスラエル)だろう。
4人いた妻の内、彼自身が望んで結婚したのは1人だけだった。
最初の結婚で、元々の婚約者ラケルの姉レアを舅から押しつけられ、
結局、姉妹とも妻とすることになる。
後に2人の妻、それぞれの女奴隷をも妻とすることになる。
ヤコブをめぐっての姉妹の確執から、子を産む競争になり、
女奴隷たちはそれぞれの女主人の側に立って、ヤコブの子を産む。
おかげで、ヤコブは12人の男子を得て、
その子らがイスラエル12部族の祖となる。
こうして見ていくと、聖書は、姦淫(不倫)には厳しいが、
複数の妻を持つことには意外とおおらかだとも言える。
たしかに、複数の妻は、契約関係の中にあって、
そこには契約違反は無い。
ただし、妻同士や、夫との間に確執が生まれるのは避けられない。
聖書はその辺りもしっかりと描いている。
また、神を信じ切ることが難しいが故の、
結果としての一夫多妻、という観点がある。
それが最もはっきり出てくるのが、アブラハムの場合だ。
彼とその妻サラは高齢になっても子どもに恵まれず、
子孫を増やすという神の約束を信じられなくなった夫婦は、
妻の提案で、女奴隷ハガルに子を産ませることにした。
しかし、神はサラが子を宿すと予告して、その通りになる。
トータルに聖書の主張を見ていく限り、
一夫一婦を祝福されるべき夫婦のあり方としている。
それでも、人間は本質的に不信仰なので、
一夫一婦の関係を維持するのが難しい。
また、一夫多妻の中にも様々な困難な問題が生じてくる。
ここで、あらためて姦淫(不倫)の関係を見てみよう。
一夫多妻の困難さを回避しようとする狡さとともに、
夫婦になり切れない関係を維持することで、
夫婦関係を根底から否定するものがあるのが判る。
特に女性にとって、男性と関係を持つことは、文字通り命がけになる。
したがって、夫婦関係に対してネガティヴな関係のままで
男女の関係を維持するのは無理があるだろう。
男性に対しては、
そんな関係をそのまま引っ張ろうとするぐらいなら、
一夫多妻の方がよほどまともだ、と言えるように思う。
それができないなら手を出すな、ということ。
「男の甲斐性」という言葉は今や死語だが、
複数の女性との関係を、それぞれ"まともな"男女関係として、
維持できることを言うのだろう。
ちなみに、Boxyには逆立ちしてもそんな甲斐性は無いので、
一夫一婦制の法制度には抵抗はない。
この言い方はブラックな冗談だ。
一夫一婦の関係を貶めるものだろう。
実は、姦淫罪ありで一夫多妻を認める方が、
一般的な男女関係がよりポジティヴなものになるかもしれない。
時代錯誤だろうか?
いや、いつの時代もそうなのではないか。
人々が、一夫一婦の関係を、神から与えられた恵みとして、
心から喜んで受け入れる時が来るまでは。