和歌山の紹介~ | Gold mt Eggs NLPトレーナー 西川兄弟による 旅と歴史のブログ

和歌山の紹介~




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西川(兄)です。

久々に投稿します。

忙しいので、地元和歌山の紹介から。

和歌山と言えば、南部の白浜や勝浦、熊野などが有名ですが、実は北部の和歌山市にもいろいろ見どころがあるのです。

南部は非常に遠く、和歌山市から更に南に100kmほどいかねばいけませんが、和歌山市なら、
大阪から一時間程度ですから、実はさほど遠くもありません。

古くは、熊野詣で前の一服や、歌人たちが美しい風景を歌う場所でもありました。

和歌浦と言う場所があります。ここから、山本五十六連合艦隊は出撃していきました。

その和歌浦にたたずむのは、玉津島神社。

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玉津島神社は古来より、和歌の神様を祀る神社として天皇や貴族、歌人たちに崇拝されてきました。今も万葉のおもむきが残ります。聖武天皇が訪れた地でもある。

仲哀天皇の皇后息長足姫(神功皇后)が紀伊半島に進軍した際に創建されたいわれを持つ神社でもある。

和歌浦はシラスが有名で、港ではしばしばシラス祭りが催され、干したてのシラスが手に入る。
これが安くてめっぽううまい。

ここでシラスを食べれば、スーパーのなんて食べれない。

そこから、少し北上すると、紀州徳川家の御殿と庭がある。御殿は最近になって再建されたものだ。

紀州徳川家は、実は徳川総本家と、当初は大変仲が悪く、江戸幕府が武田信玄の軍法を信奉したため、紀州家は、上杉謙信を信奉したと言う経緯が実はある。

紀州家といえば、徳川吉宗が有名だが、有名な吉宗よりも、別の話をしたい。

この時の紀州藩は、柔軟であり、醤油商人で、台風被害を受けた地方救済を行った浜口御陵を、
勘定奉行に抜擢するなど、能力主義を貫いていた。

幼いころ、祖父に連れられ、だれだこれとずっと思っていたが、あまりメジャーではないようだ。

だが、彼は私財を投じて故郷を救った尊敬すべき偉人である。彼の家は大醤油商人で、本家を和歌山は湯浅付近に、分家と支店を千葉県の銚子にもっていた。

当時、和歌山から黒潮に乗っていけば、千葉の銚子についたため、銚子経由で江戸に醤油を売っていたのである。現在でもその名残で、和歌山出身の人たちが銚子にいる。

台風で村全体がつぶれてしまった時、浜口家では和歌山を捨て、千葉一本にしようと言うものが多かった。しかし、浜口御陵は、今、故郷を見捨ててどうすると奮起し、財政難で動きが鈍かった紀州藩に頼らず、私財を投じて、村を独力で数年かけて回復させたのであった。

浜口氏は勘定奉行を務めたのち、旧幕府方ながら、日本郵政の元を創り、初代県議会議長となった。今も県庁前に彼の銅像が残る。

彼は和歌山中部の出身である。和歌山中部と言えば、田辺の町がある。田辺の町を収めていたのは、紀州藩の付け家老安藤氏の居城田辺城を中心とした田辺藩が納めていた。紀州藩に属する支藩(自治国)である。

幕末、第二次長州征伐の際、まっさきに崩れたのが、紀州藩の家老田辺藩兵安藤軍だった。
そこから総崩れになる。

おりしも、紀州にはロシア軍艦がやってきた。その時、領地にいた、紀州藩士2000家だけではなく、農民兵も含め、13000で海上を防御する。交渉の結果、船団は浦賀に向かい、戦火は免れた。

これら一連の事態を重く見た、時の紀州藩では、軍を改革し、旧幕府軍では、先駆けて西洋式に装備から全改装を行った。これが下級藩士出身であった津田出の改革である。ちなみに、津田出の弟は初代県知事になっている。


鳥羽伏見の戦いの際、紀州藩は近代兵装になった約20000で出陣。北上中、将軍が江戸に脱出してしまい、徳川軍総崩れの報に接して、退却する。

この時、紀州藩兵が鳥羽伏見にまにあっていれば、中途半端な明治維新は避けられ、緩やかな変化と、江戸時代全否定ではなく、良い所を残しつつの改革がなされていたかもしれない。

歴史に、たら、れば、はないが、とても残念に思う。

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これが再建された湊御殿である。

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こちらも湊御殿。紀州候は明治維新に際して、さぞ悔しかったことだろう。


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これは、湊御殿から近くにある養翠園と言う庭園。

人もさほどいないが、美しい庭に気持ちが癒される。






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