自分の親がどう生きてきたかを知るのも、自分を知る一助になる。
私の遺伝子上の父母は、北海道で育ち、本気の貧困を経験している。
私の母は饅頭屋さんの長女、上に兄がいる2人兄妹。
彼女の父親は腕が悪く、戦争に行かずに済んだ。
当時は「戦争に行かないのは一人前ではない」と周りから見られ、気にしていたそうだ。
私の祖父は、社会的・承認欲求は満たされなかったものの、
彼が戦争に行けなかったおかげで母は、
貧困ではあるが温かい家庭の中で育つことができた。
私の祖母は、とてもやさしい人で、母は大好きだったと言っていた。
母たち兄妹は、生理的欲求と安全欲求は満たされて育ったんだろうな。
彼女の明るさ、無邪気さを守ることができる家庭環境だったんだと思う。
私の母は、中学卒業後、
経済的な理由で親元を離れ一人暮らしになったそうだ。
とても寂しかったと言ってた。
その寂しさが、彼女がどんなにひどい目に遭っても、
父から離れない、家庭を維持しようとした原動力だったんだろうか。
未整理の傷は都度癒しておかないと
思わぬところで自分や自分の大切な人の人生の足を引っ張る。
彼女は母になってから、
長女である私の人生が私の思い通りに行かないようなムーブをしたし、
私も頭では自分の子どもの人生を最大限サポートしたいと考えていたけど、
実際、大事な局面で過去の傷から血が噴き出して、思考とは全く逆のムーブをしたことがある。
母はコツコツと努力をするのが得意なたちで、
父と出会った頃は、父の通信制高校の課題を手伝い、
結婚後は、3人の子どもを育てながら、
無線資格をとり、占い師になり、パート先の接客で賞をもらってきた。
母はHSCであった私の子育てでかなり深刻に悩んでいたと父から聞いたことがある。
私が何を考えているのか、さっぱりわからないというのだ。
母は悩みすぎて占いに希望を見出し、占い師になるまで突き詰めた。
私も、ワンオペで育児をしていた母との意思疎通ができないと感じていた。
言葉が通じなさ過ぎて、宇宙人と生活しているような感覚。
Third culture kidsがおかれた状況と似ているのかもしれない。
母から愛情が欲しい、でも言葉が通じない。
武田友紀さんも小さい頃大変だったと本に書いていたから、
HSCあるあるなのかもしれない。
この感覚を生身の人間と語り合えると、また一つ楽になるだろうな。
私は最近まで「占いに逃げる母は弱い」と思っていた。
でも、子育てを終えて、インナーチャイルドワークをあらかた終えた今は、
「母の知識の深さ、占いへの強迫性は、私のことをわかりたいと思ってくれた気持ちの強さと同じなんだな」と思うようになった。
私も子どもに自尊心をもたせたいと、強迫的に福祉や教育を学んできた。
私の知識の深さ、教育への脅迫性は、
私が息子を「自尊心と自分軸のある子に育ってほしい」という願いの強さが発端になっている。
私と母は、この点でとてもよく似ている。
一方で私の父は、下宿と飲み屋さんを営んでいる母に育てられた。
3人兄妹の真ん中。
父の父親は戦争を経験している。
中国へ行き、そこに別の家族も持っていたそうだ。
私はその事実を、小学生の時に母から聞かされた。
私の母は別の家庭をもつ祖父を責めていて、
その時は私もなんか嫌な気持ちがしていた。
今は、
「生き死にかかった現場に強制的に駆り出されて、
祖父はその場で一生懸命に生きたんだろうな」って思う。
常に不安で、命を脅かされていたら、
人のぬくもり欲しくなるのは生き物として当たり前で、
生存がかかった状態で子孫を残そうとする本能が発動するのも、
そりゃそうだろうなって思う。
ただ、私の父や祖母からすると、割り切れなくて当たり前。
祖父と祖母はずっと仲が悪く、祖父は家にお金を入れず、
祖母はひとりで下宿と飲み屋を営み、父たちはネグレクト状態に置かれた。
戦争によるPTSDを抱えて親として機能するって設定がハードモードすぎる。
家族は皆必死にただ生きていて、戦争の被害をもろに受けたってことなんだと思う。
父たちの日常は、一つの納豆を兄妹3人で分け合って食べたり、
小学校低学年の父が保育園児だった妹の弁当を朝作って持たせたり。
父たち姉妹は、生理的欲求、安全欲求すら
自分たちで満たさないといけない状況に置かれていた。
遺伝子上の親は一緒に住んでいて、屋根のある家にはいたが、
子どもたちの生活実態はスラムの子どもたちのそれとよく似ている。
思春期の頃、この話を父から聞いて、
「想像を絶する。貧乏怖い。貧乏過ぎて引く。
なんで自分は裕福な親の下に生まれなかったんだろう。」と思った。
今は、だいぶ違うとらえ方をしている。
私の目には、父はずっと、家父長的な価値観にすがる暴君に見えてきた。
彼は、自分の育ちに自信がなく、父親という存在がわからなかった。
だから温かい家庭を切望した。
結婚(創設家族)は生育家庭のリベンジ。
父は、自分で創る家庭は『世間に認められる温かい家庭』にしたかったんだろうな。
ただ、当時はモデルも、本もなかったろうし、
TVの洗脳もひどかったろうし、洗脳をうけにくくする教育も受けていなかった。
彼はネグレクト・精神的・身体的暴力を受けていて、当時はそれが当たり前。
何も手がかりがない中で、彼は自己流で『家族の大黒柱』であろうとしていた。
子どもがケンカをすれば1~2時間正座させて説教というのもザラだった。
当時の私の目には、父は神、母は父を信奉する召使のように映っていた。
神の怒りに触れないように、怒りに触れたら長時間の意味の分からない説教を聞かされるという罰が待っている。
当時は、父の言葉がわからない私がおかしい、私の頭が悪いと思っていたが、
父の伝える力が低かった、父親としてどうふるまってよいのかわからなかったということなんだろうなと思う。
彼の強迫性は、彼の不安の裏返し。
彼が『ちゃんとした家庭』をどれだけ切望していたか、
家庭の中で深く傷ついて、手当をされずにたまった膿の量に比例するんだと思う。
私も、「自分の子どもに負の連鎖を引き継ぎたくない、自尊心をもたせたい」と
ものすごく強迫的に生きてきてしまった。
私と父はよく似ている。
結婚(創設家族)は成育家族のリベンジ
私の両親は、それぞれ子ども時代に満たされなかった思いをもち、
結婚し新しい家族を創る家庭で、過去の自分の満たされなかった思いを
満たそうと、一生懸命やってきた。
一生懸命やっていれば、良い結果になるかというと、それはまた別の話。