警察官の父、専業主婦の母の間に生まれた、第二子。

 

兄と少し年の離れた妹がいる。

 

 

両親は、北海道で結婚し、兄が生まれ、私が母のおなかに入っている時に

北海道から関東に出てきた。

 

父は器用で色んなことをこなすが、

理不尽なことがあると戦ってしまう性質なので、

職を転々としていたらしい。

 

こういうところ、私は父によく似ている…

 

 

40年前の北海道は、雇用があまりなかったようで、

父と母は小さな子どもを連れて上京した。

 

子育てを終えた私からすると、

この決断はものすごいことに思える。

 

私の子ども時代は、いつも母が忙しく、イライラしていることが多かった。

慣れない土地で頼れる親戚も近くにおらず、

子どもを育てていかなきゃいけないって、ハードモードだよなぁ。

 

私も自分の子どもが乳幼児のころに、

慣れない土地の核家族、ワンオペ孤独育児を経験して、

即頭がおかしくなったから、

母がしんどさ、人間としての限界がわかるようになった。

 

 

父はよく写真を撮っていた。

「自分の家族」を大切に思っていたんだろうな。

 

そこには、誕生日ケーキを嬉しそうに見つめている様子や

テーマパークで楽しそうにポーズを決めている子どもたちが写っている。

何度も見ることで、その楽しそうな様子が記憶に刷り込まれていくんだろう。

 

 

「怖かったこと」というテーマで、すっと思いつくのは

母が飼っていた柴犬のミックスを、蹴りつけている場面。

父が神のように私たち兄妹を正座させて延々と説教をしている場面。

母がキッチンに居て、機嫌が悪く、母の顔が黒くなっていて見えない場面。

 

私は小学生になるまで、指しゃぶりがとれず、

おねしょもしょっちゅうしていた。

 

一番強烈だったのは、母の兄への偏愛が過ぎて、

私が自殺を考えたこと。

 

母は兄と相性がよく、HSCだった私には手を焼いていた。

私が何を考えているか、さっぱりわからなかったからだ。

 

母が兄を優先する言動が何回かあり、私はそれを数えていた。

あるとき、コップの水が満タンになり、

「あ、まただ!もう自殺してやる!思い知れ!」

と家の前の国道へ出て、泣きながら行き交うトラックをじっと見て、

一歩足を踏み出そうか、葛藤した記憶がある。

 

結局私はヘタレだったので、トラックに飛び込むことはなかったけど、

(ヘタレ万歳)

 

自分が愛されていないと感じる

 ↓

傷ついた

 ↓

母親に死んで私がどれだけ傷ついたかを思い知らせてやる

 

という思考回路を小学校に上がる前の子がしていたってこと。

こうやって書いていると、私、だいぶかわいそうだな。

 

 

父と母は一生懸命生きていた。

一生懸命であれば、子どもの精神の安定が保てるかというと、そうでもない。

親が必死過ぎると、子どもを受け入れる余地がすごーく小さくなってしまう。

 

一つ言えるのは、「溜め」が大事ということ。

経済的な余裕、

すぐに頼れる関係性の親戚・友人、

その土地に住んで長くて慣れている、

子どもを共に育てるシステム等が、あればあるだけ大人がリラックスでき、

ひいては子どもの精神的な安定につながる。

 

 

私は自分の子どもを育てる時は、

この「溜め」がある環境をにこだわってきた。

 

夫に「コレクティブハウスで暮らさない?」と提案してみたり、

(断られたけど…)

 

子どもが父親・母親・祖父母に簡単にアクセスできるように、

日常的に関われるような仕組みを創ってきた。

 

今、私の子どもは、

必要に応じて、気分に応じて、住む場所を変えて生活している。

私にはなかった選択肢だ。うらやましいかぎりだ。

 

子どもは人的資源という「溜め」を持ち、ちゃんと活用している。

私の願いは叶っているんだな。

 

 

私は、黙々と手を動かすのが好きな子どもだった。

型をはめるおもちゃ、お絵描き、塗り絵、リカちゃんやバービーちゃん、ごっこ遊びをこよなく愛していた。

 

色、髪型、服へのこだわりが強かったのはこのころからで、

夏祭りで、親が用意してくれた浴衣が、全く私の好みではない柄と色で、

ものすごい衝撃をうけた。

 

泣く⇒理由を言わない⇒ふてくされる⇒夏祭りに行かない

という暴挙にでて、親が困惑していた。

 

自分の中の美しいもの、「これ」って直観が強くて、

それ以外は絶対に選ばない。

 

これは多分特殊なんだよね?

自分の美しさへのこだわりがあるのがデフォルトすぎて、

親が全くわからないことに対しては、

「意図的にわからないふりをしている」と思っていた。

 

難しい子どもだよなぁ…。育てるの大変だよなぁ…。

自分が親だったらこんな子大変すぎてしんどいなぁ…。

 

 

そういえば私の子どもも、

服の素材や柄で、「これ」って決めたらそれ以外を一切受け付けない子だった。

食事も、ごはんの上にふりかけがのったまま出されると泣き叫び、

自分でふりかけをかけると満足した。

 

ほんと難しい子だった。二度と子育てしたくない。

孫だったらいいけど。孫とか思い浮かべると、ワクワクしちゃうな…

絶対かわいいよな。でも、おそらく繊細な子だろうな…

 

子どもに「孫が楽しみです」ってストレートに伝えてしまうと、

色々な面からアウトだから、この気持ちはそっと隠しておこう。