実は昨日は眠くて、言いたいこと全部は書けなかったんだよね。
言葉の本質とイメージについて書いたんだけど、
言いたいことはもっとあって。
最近の私の中での1番の名言があるんです。
「心はいつも言葉に足りない」
とても深い言葉ですね。
まったくもってその通りだなと思うんです。
自分で詞を書くようになって、改めて言葉について考えたんですよ。
心では、頭では、鮮やかに描くことのできる情景も、いざ言葉にすると、どこかありきたりな表現になってしまったり、【軽い】感じになってしまったりと、「言葉ってむずかしいなぁ」って思ったんです。
こういうことに感動したっていうのも、【みんなにわかるように】と思って、言葉で説明すればするほど、最初の純粋な気持ちから離れていってしまう気がする。
なんだろう、お笑いのオチを口で説明しちゃう感じっていうのかな?
感じ取ったものは素晴らしいのに、説明しちゃうと意外とあっけないみたいな。
「足りない」
みたいな。
そう、言葉って足り無すぎです。
言いたいことを的確に言える言葉がないから、こういうスパイラルにはまるし、悩むし、、、
でもね、言葉の世界って考え出すと面白いもんで、制限があるからこそ、限界があるからこそ何か光るもんが出てくるんですよ。
「言葉の世界」
つまり表現の世界の1つと言っていいと思うのですが、限界があるんです。必ず。
だって言葉はある程度限られてるし、新しい言葉を作ったとしても、その言葉という名の「記号」が正確に伝わってくれるかなんてわからない。
作ったところで記号が浸透しなければ、その役目も果たせない。
だから限界はある。
でもこれってば、全然ネガティブなことじゃない、と私は思うのです。
だって、そもそも「多くの人から共感を得られる表現を正確にできる人」=「良い表現者」ってわけじゃないと思うから。
実際のところ、多くの人から共感を得られる表現を正確にできる人はそれなりにいると思うし、それにそういう人って、普通にすごいな~と思います。あと、自然にそういう表現ができる人は、感じる感覚が万人受けでもともととってもセールス向きなんだなとか。
そういう夢の無いことを思ったりします。
でも、羨ましかったり、嫉妬したり、「私もそうなりたい」とかは一切思いません。
だって私、自分の言葉を通して【多く】の人から【共感を得られる】ことに重き置いてないもん。
自分の言葉を通して【誰かひとり】でも【何かを考えるきっかけになる】ことができればって生きてるんだし。
その考えで行動して、結果として共感してくれる、、、たとえば音楽なら、聴いてくれる人がいて、唄って、その結果その人に何らかのきっかけを与えられたら嬉しいし、その曲がその人の安らぎになれたらさらに嬉しい。
それでそんなもん通り越して、自分の作品に共感してくれる人が居たら、それこそ言葉にできない。
でも、私はとっても複雑な人間と言うか、嫌~な人間で、
世の中に「100%の共感」わ無いと思っています。
どうか間違わないでください。
「100%の共感が無い」って言ってるんであって、
「共感ということが100%無い」って言ってるわけじゃないです。
共感はあります。
でもそれはどんなに願っても100%ではないです。
これは音楽に限らずにね、どんなことにおいてもです。
この考えも一見したらネガティブかもしれないけれど、とってもポジティブなんですよ。
なぜなら100%はないけど、99%はあると思っているから。
100%っていうのは「=」ってことです。
「=」。つまりは同じってコト。
自分と他人が「=」になる。そんなバカな話はありません。
てか、あってたまるか。
自分は自分以外の何者でもない。
よって「=」で繋がれるものは常に「自分」です。
自分=自分
正しいです。
でも私はもうちょっと別の表現方法の方が好きです。
自分=自分を含めた全世界の人間-自分を含めない全世界の人間=自分
人間は他人が居て初めて自分を認識することができます。
自分と他人の違うところ、似てるところ、共感できる感情、できない感情。
そういったものを通してじゃないと、自分というものが理解できない生き物なんだと思うんです。
だから、
違うことは、ネガティブなことじゃないんです。
違うことは、とても素晴らしいことなんです。
違うことは、知らない感覚との出会いであるとともに、新たな自分の発見であり、新たな可能性の発見でもあるから。
何より面白いことに人間は、相手が大切な人であればあるほど自然とその違いを埋めようとします。
できる限り100%に近づけようとします。
「100%の共感が無い」って思ってる私でさえやっています。
頭ではわかっていても、心は常に正直に動いてるんですね。
でも、
これこそが人生だと思うんです。
自分が大切だと思う人たちとの「心の距離」を限りなく0に縮める。
そのために何をすべきなのかを考えることが、「生きる」こと。
だからもしこの世の中に「100%の共感」が存在するなら、人はそれ以上その隙間を埋めることが必要がなくなる。考えることもしなくなってしまう。向き合わなくなってしまう。成長の二文字なんて何処吹く風だ。
これってば「死」の感覚に似てるなと思うんです。
私はできるかぎり「生きてる人生」を歩みたい。
だから、どんなことにも100%は望まない。
限界はある。けれど限界に到達するために、考えたり、悩んだり、時にはもがいたりしてるのが美しい人間だと思う。
99%までしかない共感という世界だと理解しながらも、100%を目指す人は美しいし、
決められた範囲の言葉を使い、その言葉が元来持つ以上の意味で自分を表現しようとする人も美しい。
どんなコトも限界があるから必死になるし、がむしゃらになる。
限界を感じ取っていながらも、それに立ち向かう人が本当の意味での「生きてる人間」だと私は思う。
99%の歌詞に、99%の曲をつけ、それを99%の唄歌いが、「1人でもいい」と、100%の共感を目指して歌ったその時、きらっと光るなにかが生まれる。
そう信じてるから私は表現者の道を選んだと思う。