私は時々このブログを書きますが、
ただ書いてるだけで、アメブロの様々なサービスも使い方も何も知らず、
時折、以前に書いたブログを読み返し、悦に浸っているくらいでした。
ところが、先日、「設定」というものがあることに気付き、
設定内容を見てみると、今では全く使っていないメルアドが登録されており、
登録メールアドレスを変更してみたところ、
何やら 「ペタ」というものがあり、何人かの方々がその「ペタ」を押してくれていることを知りました。
その「ペタ」をしてくれた方のリストに
今回のタイトルの「脳脊髄液減少症」の文字を見つけたのです。
驚きました。
この文字、
数年前まで頻繁に目にしていたからです。
このブログ主さんは交通事故が原因で脊髄液が漏れたようなのですが、
私の元彼女(今は親友)も全く同じケースだったのです。
彼女は営業回りをしているときに追突事故に遭いました。
バックミラーに減速せずに突っ込んでくるトラックが見えたとき、
彼女は焦り、とっさにブレーキを離したそうで、そのお陰で衝撃は和らいだものの、
バックミラーを見ていたので首がねじれた状態で追突され、
脊髄の髄膜が傷つき、脊髄液が漏れたようです。
救急車で病院に運ばれましたが、
アメリカの病院の診断では「むち打ち症」とのこと。
3日入院後、強制的に退院させられました。
というのも、追突してきたトラックは無保険だったのです。
アメリカは保険がないと病院を追い出されます。
彼女の任意保険のカバー額があっという間に到達してしまい、
取りっぱぐれを危惧した病院は彼女を退院させました。
それから何日経っても症状は良くなりません。
彼女曰く、事故前のパワーを100%とするなら、
事故後は50-60%くらいのパワーしかでないとのこと。
とにかく体がだるく、微熱がずっとあり、何もする気になれなかったそうです。
この症状を診てもらおうと本当に沢山の病院を回りました。
でもどこも納得の行く説明をしてくれません。
鍼などの東洋医学にも行ってみましたが、
全く改善されないままでした。
そしてこのままアメリカにいても仕方ないということで、
彼女は日本に一時的に帰国したのです。
ご実家にはアルツハイマーのおばあちゃんがおり、
ちょうどおばあちゃんの面倒を見てくれる人を共働きのご両親が探していたので、
渡りに船で帰国となりました。
しかし、日本でも「むち打ち症」と診断されるだけで、
体は全然良くなりません。
おばあちゃんは意思の疎通もできない状態になり、
汚物を壁に塗るわ、噛み付くわで、彼女の人生で一番つらかった時期だと言ってました。
ある日、もう全てのやる気を失くした彼女は、おばあちゃんを道連れに自殺を考えました。
そんなとき、おばあちゃんの夫であるおじいちゃんが急に亡くなってしまいました。
自殺計画は一旦保留にし、
おじいちゃんの葬式を先に行うことになったのですが、
おじいちゃんの葬式で、なんとおばあちゃんは涙を流して手を合わせ、
ずーっと拝んでいたそうです。
彼女はその姿を見て自殺計画を実行しないことを決めました。
そうこうしてる間に、新聞で 「脳脊髄液減少症」の記事を読み、
自分もそうではないかと思ったそうです。
もうかれこれ7-8年昔のことです。
この時期にはまだまだこの症状の認知度は低く、
病院のお医者さんもこの症状に懐疑的でした。
本当に懐疑的なのか更に疑問に感じたのは、
保険会社からの圧力が医者にかかっているという噂を聞いたときでした。
この症状を認めた場合、むち打ち症で体調の改善が見られない沢山の方が、
この症状の可能性があり、それらの方々の治療代を考えると、
保険会社はこの症状をひたすら認めたくないんだという話しでした。
彼女はその記事に書かれていた熱海の病院まで新幹線で行き、
先生に診察してもらえました。
MRIだったかCTを撮影し、脊髄液が漏れている可能性がある。
自分の血液を抜いて、再度その血液を背骨に注射し、血液で髄膜の損傷部分を塞ぐ、
「ブロッド・パッチ」という方法があるから、トライしてみないかと言われたときは、
やっとこの体調が悪い原因が分かったと、うれし泣きしたそうです。
しかし、まだその当時は保険も適用されず、
彼女のご両親もその処方に懐疑的で、「そんなことするよりも安静にしてれば日にち薬で良くなる」
と信じており、彼女のブロッド・パッチを認めてくれませんでした。
それでも藁にもすがる思いで、彼女は費用を工面し、
熱海に行くことを決めました。
そのとき、私の母親が大阪から新幹線で熱海に行き、
泊り込みで看病してくれました。
このことは一生かけて恩返しすると彼女は今も言ってます。
そしてブロッド・パッチが行われました。
その感想を「脳みそがガーンと上に上がる気がした」と彼女は言いました。
幸いにも1回のブロッド。パッチで彼女の症状はかなりの回復をみせ、
その後は徐々に回復に向かいました。
それまで大学院を卒業し、バリバリのキャリアウーマンを目指していた彼女でしたが、
この脳脊髄液減少症になり、様々な方々からのご恩を受け
また、現在の西洋医学のあり方にも疑問を感じ、
スピリチャルな方向へ人生を思いっきりシフトしました。
臼井式霊気の勉強をし、ヨガの先生の資格を取り、マッサージ師の資格も取り、
現在はそっちの方面でがんばっています。
私の感想では、事故前よりも元気になった(冷え性の改善など)ようにさえ思えます。
現在日本でこの「脳脊髄液減少症」がどれくらい認知されたのかは分かりませんが、
以前新聞でブロッド・パッチに保険が適用されることになったと知りました。
まだまだ反対意見も多いようですが、
彼女や今回ブログをご紹介させていただいた方のように、
効果があった方々がいることも確かです。
もしまだこの症状を知らずに困っている方がいればと思い、
広くこの症状が認知されることを祈ります。
地元の教会の牧師から
ある教会にボランティアに行って欲しいと言われた。
その教会は100年以上の歴史がある日系教会で教会員の殆どが高齢者だという。
あまり深く考えず軽い気持ちで
まぁ時間があれば行ってみるか?
と思ってた。
それが着いた途端に
詐欺にあったことが発覚し、
帰国する金もなく地獄に落とされた。
それまでの軽い気持ちで
教会でも行くかという考えではなく、
藁にもすがる思いで教会に連絡を取った。
牧師先生夫妻が私の宿泊していた
危険な地域の日払いホテルに迎えに来てくれ、その教会に初めて行った。
お世辞にも綺麗とは言えない古い教会で、牧師が説教する演台が置かれたステージには何の飾りもなく、幾つかの聖書の言葉が毛筆で書かれステージの後ろに貼られていた。
メンバーの殆どが日系一世のご老人で、食堂にかけられている写真は日系博物館かと思ってしまうくらいの様々な時代の日系人の写真があった。
礼拝の後には皆さんが持ち寄った食事をシェアし昼食会があった。
アメリカにある食材を工夫して日本食を作っていた。日本から比べればお粗末な食事かもしれないが、ホテルでまずい食事しか食べていなかった私はには本当にありがたく、美味しい食事だった。
皆さんに優しくしていただき、
その後の生活に関しても沢山相談に乗ってもらった、アドバイスも沢山いただいた。
そして、仕事が見つかると
週末もない状態になり教会に足を運ぶ回数は激減した。
悲しいことに仕事が安定すると、遊びに忙しくなり教会へはいかなくなった。
そんな教会のことを久しぶりに
突然思い出し、自分のアメリカ生活の根っこにこの教会があることを実感した。そしてクリスマスに手紙を書き100ドルの寄付を贈った。
直ぐに牧師先生夫妻から
手紙が届いた。
手紙の内容は愛に溢れたものだった。
もう先生夫妻は40年住んだ家を離れ二人で老人ホームに引っ越したこと、
メンバーが高齢の方々が多かったため
お亡くなりになった方も多く
教会は小さい規模になり、日曜礼拝の1時間以外はインドネシアの教会が建物を使っていることなど、
事細かに丁寧に書かれていた。。。
私はその手紙の上に泣き崩れた。
なくなったトイレットペーパーを買いにいけない程泣いた。
様々なスピリチュアルな本を読み漁り、御霊磨きが大事だなどと偉そうな事を言ってはいても、その成長の遅さに自分の弱さを痛感した。自分の人生を自分で切り開くと意気込みながら、自分の弱さに足をすくわれ、結果他人や社会のせいにして逃げていた気がした。
泣いた理由は2つある
こんな長い時間、教会に何の恩返しもできていない自分への不甲斐なさがひとつ。
もう一つは
こんな私に愛を常に与えてくださる
牧師先生夫妻が本当にありがたく、
感謝の気持ちが高まりすぎて泣けてきた。
神様との繋がりを維持しながら、その時その時でベストに働く。まだまだ出来てはいない。しかし、そのあるべき姿がやっと見えた気がする。
これこそ豊かな人生ではないかと思った。感謝の気持ちを伝え、互いを思い合い、私利私欲を持たず、相手を愛す。
テクノロジーが進歩し
連絡がいつでも簡単に取れるようになった現在だが、誰に連絡をしなければならないかという大事なことが忘れられたりしている気がする。
牧師先生も高齢ながらメールを使っているようでメルアドが記載されていた。このことも連絡を取らないといつまでも分からないままなのだ。



