昨日ニュースで見ましたが、
中国で暴漢に襲われた瀕死の状態の女子学生が生きたまま溝に捨てられるという事件があったようです。
かわいそうに暴漢に襲われ下半身が裸の状態で2日も放置され、
凍傷がひどいらしい。手足など切断とかにならないように祈りたい。
「だから中国はおかしい!!」
とは思わない。どこにも変な人も優しい人もいると思いますからね。
もし彼女が日本でこのような暴漢に襲われ、
放置されていたら・・・。
恐らく警察がこのような重度の怪我人を放置することはないと思う。
それに周りの人も必ず助けてくれると信じてます。
ではまだ部分的に内戦が続いているアフリカのコンゴだったらどうだろう?
「同じ人間なんだからコンゴだって誰か助けてくれるさ!」
と信じたいです。 しかし自信はない。
心のどこかで、資本主義に価値観を狂わされ、
自分を見失っている人が多くいるように思えます。
そういう価値観がひっくり返っている環境で、
人が人として正しい判断や行動がどれるかということに自信がありません。
アメリカは民主主義こそナンバーワン!!と
中東やアジアなど、民主主義の押し売りをしているように思う。
もちろん私も民主主義の中で生まれ育っているけれど、
アメリカが推し進める世界の民主主義化には、
同時に「資本主義」の押し売りが裏に引っ付いているように感じます。
例えばアフリカの内戦している国。。。
60年代まではアフリカは植民地時代だったと思うので、
その時代には誰も戻りなくないだろう。
その前の時代っていつかは分かりませんが、
天災などの影響は非常に大きかったかもしれませんが、
みんな部族のルールを守って生きていたと思うのです。
若者:お嬢さんをお嫁にください!
父親:じゃぁヤギを30頭連れて来い!
みたいな。
でも、今なら
若者:お嬢さんをお嫁にください!
父親:じゃぁ新しいiPadもってこい!!
極端ですが、当たらずしも遠からずではないでしょうか?
日本なら、
約100年前に村に電話が繋がった。
でも村の集会所に1個だけ。
5年後に村長の家にも1個ついた。
そのまた5年後には高額だが誰でも電話が引けるようになって庄屋さんの家についた。
その10年後に皆の家に電話がついた。
その20年後にお弁当箱みたいな携帯電話が誕生し、たけど高額なので一部の人が使った
その10年後に携帯の普及率が50%を超えた。
見たいな歴史ってあると思うんです。
それが、今アフリカの一部では突然スマホから電話文化が始まった。
そうなるとスマホは本当に魔法の箱ですよ。
それを手に入れるために悪いこともしちゃう人がいてもおかしくない。
中国も近いような感じがします。
いきなりお金持ちになった人が沢山いて、
農村部ではその流れから取り残されて焦ってる人も多いはず。
お金が全て!と思っちゃう人も少なくないですよ。
そういう環境では。だってアメリカでも日本でもまだそういう人がいますもの。
このブログだって、
私の個人的日記ですが、
アフィリエイトをやってる方々から沢山メッセージいただきますよ。
私なんかはどうでもよくて、1人でも多くの人に自分のブログからリンクで飛んで
アフィリエイトで商品買って欲しいからでしょ?
確かにお金は大事です。
ないよりはあった方がいい。と相田みつをも書いてましたよ。
私もお金大事ですよ。
でも、30歳のときに思ったんです。
いくら稼ぐかよりも、何をするかが大事だと。
世の中に意味のある仕事をすれば、
私の収入は世の中が決めてくれると。
子供の価値観は親が醸成すると思うんです。
話は変わりますが、私は会社以外にも会社のスタッフ用に託児所も経営しております。
今はスタッフ以上に一般から申し込まれる園児さんの方が増えてしまいましたが、
沢山の子供たちと会うことで、子供の価値観は親が作っていると思いました。
子供はスポンジのように様々な情報を毎日吸収し、毎日成長しています。
大人は昔読んだ本を15年ぶりに読んだら、全く違う発見があったとかよく聞きますよね。
子供なんてもっとすごいんです。
毎日同じ本を寝る前に読み聞かせしても、飽きないんです。
それは毎日成長してるから、昨日分からなかった言葉の意味が今日分かったり、
昨日気づかなかった主人公の心境が今日分かったり。。。
そんな子供は親の感情表現から価値観を決めていると思います。
褒めるということも、
どれくらいの大きさで褒めるかということで価値観の違いを子供は学んでいます。
「えらい、えらい」とか「よくやったねー」とか「すごい!!●●ちゃんは本当にいい子だねー」とか・・・。
どういうときに大きく褒めているんでしょう?
他人よりも成績が優れているとき?
子供が得をしたとき?
おねしょしなかったとき?
本当は他人を含めた周りの人やモノに対し、
愛を与えるような行動をしたときなんじゃないでしょうか?
親が喜んでるときは子供も幸せです。
では、どういうときにお母さんお父さんは喜んでいるのでしょう?
昇給したとき?
新しい車を買ったとき?
バーゲンでお買い得商品が買えたとき?
ダイエットして痩せたとき?
他人の不幸話?
これも、子供は吸収しています。
愛情あふれる会話をしている人って結構少ないんじゃないですか?
生きていくうえで、
「お金」が一番大事だと親が思っているなら、
おそらく子供もそう思うはず。
民主主義の一番大事なことってなんでしょう?
主義が民主なことですよ。
誰でも政治に意見できる機会があるということ。
平等とだけ思ってる人も多いんじゃないですかね?
じゃぁその裏に引っ付いている「資本主義」は?
本当に平等でしょうか?
皆に同じチャンスを与えている経済システムなんでしょうか?
もっと全体像をつかまないといけないんじゃないでしょうか?
例えば「自由」
これにも裏に引っ付いてくるものがあります。
「責任」です。
何してもいいというだけでは自由ではないです。
やったことには責任がついてくるんです。
資本主義を押し売りする前に、
人間として守るべき大切なことや
資本では買えない尊いものがあることをしっかり教育しないと、
今の急成長してる国を見ていると、
資本主義の一面だけしか見ていないような、
責任を伴わない自由を謳歌しているような
そんな感じがします。
それは既存の先進国をお手本にしているからです。
子供は親の鏡だから。
親は正しい手本を見せなければいけません。
アマゾンで頑なに文明の進入を拒む土人さん達がいます。
彼らからすると、文明を受け入れても良いことよりも失くすものの方が多いと思うのでしょう。
正しいかもしれません。
彼らも人間、我等も人間、同じ地球の「人間種」です。
もし私が「地球号」という宇宙船を管理しなければならない立場だったとしたら、
土人だけ残してあとは大掃除しようかと思います。
「種」は滅ぼさずに済むし、地球は健康になるから。
今生存する動物も数千年前には巨大化したものや、
特殊な進化をしたものなど、元の種から枝分かれした動物が、
環境の変化で滅んでいることが多くあるそうです。
また進化したものだけが生き残ることも。
そういう面では、文明進化に進んだ人間と
オリジナルの人間を比べ、どちらが地球にいいかということです。
最後の審判ではないですが、そういう線引きが一番妥当に思えてしまいます。
そういう線引きで文明進化した人間が生き残っても、文明がなくなり
もう一度白紙の状態からやり直さなければならないなら、
オリジナルの人間種と同じように生きないと生存できないですし。
ちなみに「責任」がともなわない「自由」は
「暴走」です。