Truth of politics14 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

・・Zipangu is Japanese Big Picture First.w

Please Don't Korea❗️

 Truth・・真実は動き始めた・・・

2023R5)年、反日国家の悪癖増長は留まる(トドマル)事を知らず、独善的で専制的な特亜3国(C国、NK国、SK国)は恨み、虚言、汚物に満ちて、R国もろとも互いに滅亡の道を歩んでいた。

 一方、G7Nationsは、更なるGlobalな世界で手を取りあった・・。

 The XXX Files・・・21Century.

 This is a Fact

   Go Now ‼️ No Times❗️No way⁉️

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 Long Time ago.長い間、真実は隠されて来た、But.絡繰は、より巧妙になり危険は更に増した・・

SubTitle"Get Ready _Truth of Politics be.ww⁉️"

 SumerJapanese Suite Lounge.

 Believe Tomorrow・・・

 

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 私は、安倍氏暗殺事件について、想う所があり例によって諸先生方の名著をエビデンスに投稿して行きますが本投稿は、営利目的ではありませんので関係諸氏の方々におかれましてはどうぞご容赦いただきます様お願いします・・

 

反日惨状(反日オールスターズ)

 

 

 ⤵︎ここから本編です⤵︎

Shin-Nichi ism WiLL Never Die

 ABE ism WiLL Never Die・・. Forever

 

〜プロローグ〜

 ひとたび「総理辞任」「解散総選挙」といった政治の一大局面が近いという観測が流れると、東京都千代田区【永田町】の空気は一変し「有事モード」に入ります。

 「総理は辞任するのか」「解散に打って出る可能性はあるのか⁉️」。

 全てのメディアの、全ての政治記者が日頃培った(ツチカッタ)人脈を駆使して「最高権力者の次の一手」の糸口を探る為に奔走します。

 新聞・通信・テレビといった従来の守旧派メディアに加え、インターネットメディア、週刊誌、フリーランス等を加えると千人は下らないともいわれる永田町の政治記者達の、目という目、耳という耳が、僅かな信号も逃すまいと躍起になります(中略)。

 平成192007)年9月頃、当時の安倍政権は、参議院選挙で惨敗したものの内閣改造を敢行し支持率も4割前後に回復していただけに、永田町では「安倍首相が辞任する事は当分ない」という見方が支配的で、いわば「平時モード」でした。

 特に9月12日は、2日前に行われた安倍氏の所信表明演説を受けた各党の代表質問が午後から予定されていた事もあり、関係者の常識からいって首相が辞任を決断するとは奥底考えられないタイミングでした。

 

 「原爆しょうがない発言」で批判の集中砲火を浴びていた久間章生(キュウマ・フミオ)防衛大臣が7月初めに辞任し、年金記録問題も拡大の一途をたどる等、平成192007)年夏の参院選直前の安倍政権には逆風吹き荒れていました。(中略)

 平成19726、筆者(山口敬之氏。以下「筆者」。)は逆風の中にある安倍氏と東京・富ヶ谷の私邸でじっくり話す機会がありました。(中略)

 この日は、直前の週末に自民党が行った電話調査の数字が上がってきたばかりでした。

 激戦とされる選挙区の有権者にランダムに電話を掛けて誰に投票するかを尋ね、その結果を積み上げているだけにデータとしての信頼度は比較的に高いです。この日に出た調査では、自民党の獲得予想議席数は46。筆者は自民党の議席が40を上回る可能性は極めて低いと見ていたから正直にこう言いました。

筆者 「自民党の調査はちょっと甘すぎるんじゃないですか❓

安倍氏「うーん、確かに自民党でやる調査は甘めに出る事が多いんだよね。特に参院選だと衆議院ほど詰めた調査が出来ないし」。

筆者「40に乗るかどうか、というのがマスコミ各社の今の相場だと思いますよ」。

安倍氏「うーん。ただ、僕たちがこの手の調査で重視するのは、個別の選挙区の積み上げも去ることながら『全体の傾向』なんだよね。矢印が上向きか下向きか

腫瘍性大腸炎という難病を抱えて体調の悪化が始まっていた安倍氏でしたが、この情勢調査を受け「諦めるのはまだ早い」と自分を鼓舞しているように見えました。

 (中略)選挙戦最終日の平成19728、マスコミ各社の不在者投票のデータや情勢調査が刻々と選挙区の敗北が次々と判明していきました。麻生氏の予想した通りの歴史的惨敗が避けられない現実として突き付けられる中、安倍氏は麻生氏に電話を掛けました。

安倍氏「麻生さん、これから会えませんか❓

麻生氏「総理、僕は今選挙応援で北九州におりまして、東京に戻るのは明日なんですよ

 麻生氏は平素、同僚や後輩の政治家に敬語は使わず、親しみを込めて砕けたべらんめぇ調で話します。

 しかし、安倍氏が総理・総裁になった瞬間、麻生氏は安倍氏にきちんとした敬語を使うようになりました。

首相という孤独な仕事に携わる安倍氏への麻生流の敬意の表現なのでしょう。

安倍氏「あぁ、そうなんですか」。

落胆を隠せない安倍氏の口調から、進退をめぐる相談だとピンときた麻生氏は安倍氏に対し、電話で3つの助言をしました。

仮に自民党の獲得議席が30台でも泰然とした態度で続投を表明する事

民主党の人事が終わる迄は、自民党の人事に手をつけない。

直近の民意を尊重し、民主党の政治論議を見守る事。

(中略)麻生氏は、羽田空港に到着すると総理公邸に直行しました。玄関前で出迎える安倍氏。

応接間のソファに座った麻生氏は、開口一番こう言いました。

麻生氏「総理、吉田茂は首相在任期間の後半、ねじれどころ(※ねじれ国会の事)か少数与党に転落していた事をご存じですか?昭和281953)年のバカヤロー解散で負け、吉田茂は衆議院でも過半数を失ったんです。しかし、その状態で1年半政権を持ちこたえました。そして、その間に米国との相互安全保障法に基づくMSA協定や、自衛隊の創設等、戦後日本の礎となる多くの重要法案を通したんです。ねじれたからと言って総理大臣が辞めなきゃならないと言う事は一切ない。支持率は今が底です。これ以上は下がりませんからジワジワと上げていけばいいんです。ねじれを楽しむという心構えが大切です」。

 麻生氏が、自らの祖父を持ち出してまで激励したのは、安倍氏が続投する気なのか、安倍氏の真意を読み取れなかったからです。

 麻生氏の説得と激励は1間半に及びました。

(中略)安倍氏の携帯が鳴った。幹事長の中川秀直からでした。

中川氏「森さん、青木さんと話し合いました。今すぐお会いしたい」。

 安倍氏は中川に対し「麻生さんがお見えになっていますから今は無理です」と答えました。

 安倍氏が「麻生氏と面会中」と中川に伝えたのは、麻生氏の名前を出す事で辞任しない意向も強くにじませました。

森喜朗元総理と青木幹雄参院会長は、安倍氏を辞任させようと考えていたのです。

(早朝)運命の912。早朝の1本の電話により、筆者は改めて「安倍氏が今日辞める」という確信を持つに至りました。

 筆者は、すぐ速報を打つよう会社に電話を掛けようとしましたが途中で辞めました。「首相辞任」をスクープする前に、どうしても安倍氏と言葉を交わしたいと思ったからです。

ダメもとで安倍氏の携帯を鳴らしましたが、やはり反応はありませんでした。

 代わりに麻生氏から電話が・・・。

麻生氏「おい!ダメだったよ

筆者「正式に辞意を示したんですか

麻生氏「安倍さんはさっき公明幹部に辞意を伝えた

筆者「正式にですか

麻生氏「そうだ

筆者「もう止まりませんね。速報を打ちます

麻生氏「・・・残念だったな」。

 受話器を通した麻生氏の声は、平素と変わらず乾いていた。しかし、いつも前向きな麻生氏から「残念」という言葉を聞いたのは初めてでした。

 

~それぞれの想いを集めた戒名~ 

 平成212009)年104、息子の幼稚園の運動会を見に来ていた筆者の携帯が鳴りました。安倍氏からでした。

安倍氏「(中川)昭一さんが亡くなったんだよ

 私(筆者)はとっさに返す言葉が見つからなかった。つい数日前、一緒に盃(サカズキ)を交わしたばかりの中川氏が死んだと言う事が信じられませんでした。

筆者「死因はなんですか

安倍氏「テニスをして帰ってきて、疲れているようだからと家族が寝かせたんだけど、翌朝起きてこないので部屋に見に行ったら冷たくなっていたというんだよ

筆者「死に方に不審なところはなかったんですね他殺とか自殺とか

安倍氏「そうは聞いてない

 しばらくの沈黙のあと・・・安倍氏「お通夜に行くんだけど一緒に行かないか

筆者「勿論です。ありがとうございます。

 安倍氏の車で中川氏の東京世田谷の自宅に向かいました。

妻の郁子(ユウコ)さんが深々と頭を下げたまま動かない・・・

安倍氏「この度は誠にご愁傷様です。お力落としの事と思います。親交のあったTBSの山口さんと一緒に来ました。

安倍氏がそう言うと、郁子さんが私(筆者)を見つけると、飛びついてひざまずき泣き崩れました。

中川郁子氏「山口さん、帯広まで来て激励してくださったのにこんな事になってしまって・・・

 中川氏の晩年の口癖は、「日本が危ない」でした。緊張が高まる東アジア情勢、水資源問題、拉致問題、誇りの持てる国造り、中川氏はライフワークとしてた多くの課題を道半ばにして旅立ちました。その無念を最もよく知っていたのが安倍晋三氏だったのです。

筆者「盟友の死は、安倍さんの心にどんな変化をもたらしたんですか

私(筆者)はジロリと睨みつけられ・・・

安倍氏「昭一さんは、沢山の事に取り組んでいたでしょ?拉致問題、教科書問題、人権擁護法案問題、アジア外交、農業問題、水資源問題、憲法改正etc・・・。その殆どが昭一さんが先頭に立って戦ってきた課題なんだよ。そしてどれも、未だにゴールを見ていないんだ。誇りの持てる国造りの為に全力投球してきた昭一さんが、道半ばで倒れたならば誰かがその遺志を継がなきゃ悲しすぎるじゃないか

筆者「昭一さんの死が、謹慎蟄居(キンシンチッキョ)の身だった安倍さんの内面に変化を与えたと

安倍氏「誰かが中川さんの思いを引き継がなきゃっていう、使命感かな

 第一次安倍政権退陣3ヶ月後の平成192007)年12、中川氏は「真・保守政策研究会」後の創生日本という超党派の研究会を発足させました。80人近い保守系議員が参画し、3つの活動目的を掲げていました。

伝統文化を守る

疲弊した戦後システムを見直す

国益を守り国際社会で尊敬される国にする  です。

戦後レジームからの脱却を掲げた第一次安倍政権の政権スローガンを引き継ぐという意思を明確にしていました。

(中略)生前、中川氏は筆者に対してこう述べていました。

安倍ちゃんが掲げた誇りある理念が、最近はどんどん後退しちゃっているどころか、逆方向に向かっちゃているじゃないか。誰かが安倍ちゃんの思いを引き継がなきゃ、この国はダメになっちゃうんだよ。この国が危ないんだよ

次に正統派保守政権が生まれるとしたら中川昭一首相なのだと研究会のメンバーは期待を寄せていました。

 その中川氏は平成212009)年の総選挙で落選し、安倍氏にこの研究会の会長に就任するよう依頼しました。安倍氏は会長就任を躊躇している最中、中川氏が突然死亡したのでした。

(中略)平成252013)年128。第二次安倍政権発足の1ヶ月後、安倍氏は所信表明演説で東日本大震災についてこう述べました。

安倍氏「被災地の事を想う時、私はある少女とその家族の物語を思い出さずにはいられません。東日本大震災で小学3年生だった彼女は、ひいおばあさんとお母さんを亡くしました。」

過去を振り返るのでなく、将来への希望を伝えてくれた事に、私は強く心を打たれました。故郷の復興は、被災地の皆さんが生きる希望を取り戻す作業です。今を懸命に生きる人々の笑顔を取り戻す。それは、その笑顔をただ願いながら天国で私達を見守っている犠牲者の御霊に報いる途(ミチ)でもある筈です

 

To Be Continue

 乱筆乱文駄文を視聴いただいた奇跡の人には謝意を表します(爆) 

 

出典:総理(山口敬之著)、安倍晋三の闘い(阿比留瑠比著)、日本人だけが知らなかった「安倍晋三」の真実(西村幸祐著)