「閔妃の蘇り」と「反日タレント」 | box03のブログ

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 シュメール人はBC2千年に、メソポタミアの地から突如消えました。 彼等の行方は分かっていません。
 著者・岩田氏は、彼等の行方を突き止める為、徹底的に追跡を始めました。
 そして、著者は大胆な仮説に行き着きます。

・・・Welcome To The Real Worlds!!! 
・・Cause Miracle!Politics
・・・ Beyond The Past . 
To The Future❗️
・・・Chinese Pig's Blood Relationship・・
The XX Files ・・・
I Want It . To Believe .(Funny !) 
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~閔妃は訓読みでビンヒ、朝鮮読みでミンピ~
 
■ 閔妃暗殺の真相
   閔妃暗殺事件・乙末事変(イツビジヘン)の首謀者は日本人か?
   いやまたこれも捏造と言って良いでしょう。
   何故なら朝鮮国内では、事件当時に現場に居合わせた朝鮮国王によって明確に裁かれた事件なのに、これが韓国内の反日運動としてスポットライトを浴びるようになったのは、例によって2005年だからです。
   おチョンコは、自国の王妃の死まで反日プロパガンダに利用しているという事です。
   李氏朝鮮時代は良民は勿論、王妃に至るまで女性は名前が与えられていませんでした。
   蔓延した女性差別と人権侵害がまかり通っていたからです。
   閔とは苗字ですから閔妃とは両班(ヤンバン)の閔氏から嫁いだ王妃という事、だから閔妃。
   つまり閔氏の妃(キサキ)という訳ですね。
   日本であれば、即位前は美智子妃殿下、即位後は皇后陛下、皇后美智子様、今上皇后が正統な呼称です(詳細は神道学者に問合せ願います。)。
   なんだか明成皇后などと聞くと、立派な王妃のイメージがありますが、この名前は、閔妃の死後に贈られた「おくりな(贈り名)」だそうです。
   いってみれば、戒名みたいなもので、つまり王妃が生前その名前で呼ばれていた訳ではありません。しかも命名したのは日本人です。
   第一、韓国人であれば「皇」という文字は大中華の大皇にしか認められない称号で、それが故に天皇陛下を指して「日王」と呼ぶ程です。父親である大中華以外に皇が存在すると認めるのは他律主義の韓国人には出来ない訳です。
   明成皇后などの贈り名をおチョンコが額面通りに受け取ったとは思えません。
 
   以下の著書が閔妃の悪政をとうとうと物語っています。
 
*『興宣大院君と閔妃』金熙明(キム・ヒミョン)1967年出版
「宮中は常に明け方まで長夜の狂宴を尽くしていたが、故に高宗も閔妃も寝室を出るのは、いつも午後になってからだった。
   かくして政務、謁見は、決まって午後だった。
   斯の如くにして、宮中の空気は益々混濁腐敗し、魑魅魍魎の巣窟たる観を呈し苛性百出、百姓は冤罪に泣き、誅求に苦しみ、怨嗟の声八道に満つる・・・」
 
*『韓国 堕落の2000年史』崔基鎬(チェ・ケイホ)2006年出版
   宮廷の要路(重職)の顕官たちは、民衆から搾取して、競って閔妃に賄賂を贈り、王妃に媚びて「巫堂ノリ」に積極的に参加し、巫女たちとともに踊った。
   閔妃は、狂気の宮廷に君臨する女王だった。また、閔妃は音楽を好んだので、毎夜、俳優や歌手を宮中に招いて演奏させ、歌わせた。
   そして自分も歌った。俳優や歌手たちに惜しみなく金銭を撒いて、遊興した。
   日本の愚かな女性作家が、閔妃に同情的な本を書いたことがあるが、閔妃は義父を虐げて、民衆に塗炭の苦しみを味あわせ、国費を浪費して国を滅ぼしたおぞましい女である。
   このような韓国史に対する無知が、かえって日韓関係を歪めてきたことを知るべきである。・・・
 
   当時李氏朝鮮王宮は守旧派・事大主義の大院君側と開化派・独立主義の閔妃側に体制が分断され激しい政争が繰り広げられていました。
 
   閔妃の開化政策により、近代軍隊を編成する為の軍政改革の影響で忌避され給料も与えられなくなった旧式軍隊(守旧派軍)等は不満を募らせ、1882年、閔妃殺害を目論み、決起し皇室に乱入します・・これを壬午軍乱(ジンゴグンラン)と言います。
   この時、多くの閔妃派要人が残虐な方法で殺され、王宮内にいた日本人の軍事顧問やその家族、日本公使館も同様に襲撃焼き討ちされ守旧派軍隊の兵士たちによってじつに残虐極まりない方法で殺されました。
   旧式軍隊が王宮に乱入してきたことを知った閔妃は、侍女を自らの身替りにして王宮に残し、自分はいち早く宮中を脱出。残された身代わりの侍女は、死ぬまで強姦されつくしたあげく、五体をバラバラに切断されてその辺に捨てられました。
   朝鮮半島とは、そう言う化外の地なのです。今も悪霊が跳梁跋扈する化外の地なのです。
 
■部下と国民を犠牲とし逃亡する王妃
   王宮を抜け出した閔妃は、当時朝鮮に駐屯していた清国の袁世凱のもとへ逃げ込みます。
   そしてこの時、閔妃が清の袁世凱のもとに逃げ込んだことが遠因となって、日清戦争が起こったと伝えられています。
   このほか閔妃は、自らの贅沢のために、日本が資金を出し、苦労して築いた鉄道の利権をロシアに勝手に売却し、それを知らされた日本が、さらに高値を払ってロシアから権益を買い戻すなんていう事件もあったと言います。
 
   また閔妃は、自分の通貨を発行すれば、もっと贅沢三昧ができると、勝手に朝鮮国内で閔妃通貨を発行し、その影響によって国内の流通・金融は大混乱に陥ります。
   一方閔妃によって追放された義父・大院君は、その後京畿道楊州に隠居しましたが、この追放謀議に閔妃の危うさを知った大院君は、閔妃を「国家存続を脅かす者」として大いに憂慮し、苦労してた政局に復帰するや、閔妃追放運動を始めます。
そしてこのことが、400年続いた李氏朝鮮王朝末期の政局混乱の一因になります。
 
■120年前からコウモリ外交
   閔妃は、内政が混乱し、大院君側が権力を取り戻すと、その都度、清にすり寄り、あるいはロシアにすがって、自分の権力の保持を図りました。
   そして1895年10月8日、とうとう閔妃暗殺事件(乙未事変)が勃発。
   犯人は、大院君を中心とした開化派武装組織であり、彼らによって閔妃は、景福宮で暗殺され、遺体は武装組織により焼却され埋葬される事はなかったと伝えられています。
   この事件では、当時、国際的な注目を集めた事件であっただけに、日本も朝鮮も、徹底して事件の詳細を調べています。
 
■犯人は朝鮮人か?日本人か❓
   調査の結果、閔妃暗殺の首謀者は日本人だったか❓
・・・答えは『NO』です。
   事件は、大院君の一党と高宗朝鮮国王によって引き起こされたことまで、つまり全て朝鮮人たちによって行われた事件であることが、明白な事実として確認されているのです。
   事件については、国王である高宗自身が、「王妃を殺したのは、不逞の私の部下だ」と証言しています(第一次資料有)。
   又、現場にいた王子(日本で言えば皇太子殿下)の純宗は、「国母を殺したのは、禹範善(ウ・ボムソン)だ」と証言、そして純宗は、後に刺客を放って禹範善を暗殺しています。
   更に実行部隊長の禹範善は「王妃を直接殺したのは私です」と証言しています(第一次資料有)。
   平たく言えば、閔妃は高宗国王の命を受けた禹範善らによって、夫(高宗)と息子(純宗)の目の前で、居室から引き出されたのであって、禹範善らは、閔妃を裸にして局所を晒し念入りに検査し、嘲笑した挙句、閔妃を殺害したというのが実際の歴史です。
   もし日本人が独自で企てた暗殺で、許されざる痛ましい犯罪だったなら目の前にいた閔妃の夫と息子は何故、黙って静観していたのでしょう?
   曲がりなりにも朝鮮王と王子なのだから、犯行を止める事も出来たはずです。
 
■王妃の地位を剥奪される、閔妃の政治手腕がクネ大統領と大部分共通
   閔妃は、15歳の時(1866年)に朝鮮王高宗の父・大院君の夫人の推挙で王宮に入りました。
   閔妃の夫である朝鮮国王高宗は、政治と妻に全く関心を持たず、漁色と酒の放蕩三昧だったといいます。
   結果、閔妃は、嫁いで数年もしないうちに王朝の政治に深く介入するようになりました。
   そして、1873年には、高宗の父で摂政を務めていた大院君とその腹心の部下たちを、裏で画策して追放し、空いたポストに、自分の一族を据えて、政治の実権を握ってしまいます。
   こうして閔妃一族による李朝末期の破滅型政治が展開されていったのです。
   閔妃は死後、大院君の提言で 身分を剥奪され平民に格下げされました。
   しかし、その後、特命全権公使の井上馨の尽力によって「明成皇后」という贈り名を付与され皇族に戻されたのです。
   1882年壬午軍乱で真っ先に逃亡した姿がセウォル号沈没船事故の船長に重なりますね。
   清国(China)に阿り、ロシアにすり寄り日本を裏切り貶める。朴大統領が閔妃の生まれ変わりと噂される理由が垣間見えたのではないでしょうか?
   宮中の空気は益々混濁腐敗し、魑魅魍魎の巣窟たる観を呈している、これは46年前金熙明の言葉です。
   しかし現在の青瓦台(청와대)セイガダイも混濁腐敗し、魑魅魍魎の巣窟たる観を呈していると言って差し支えないのではないでしょうか?
 
■閔妃の蘇り、朴槿恵大統領
 あるネットユーザーは「壬辰倭乱(文禄・慶長の役)では(日本が攻めてくる前に)王が土城を捨てて逃げ、6.25(朝鮮戦争)のときには指導部が漢江の橋を落として逃げ、セウォル号沈没事件では船長が乗客を捨てて逃げた」と書き込みました。
   注目すべきは朝鮮戦争時、橋を落として逃げたという点。保守系の歴史書では韓国軍は逃げたという表現はせず、概ね追い詰められたとか退いたという表現になってます。
   しかし、今回の沈没事件ではっきり実感しましたね。
   クネ大統領と船長・乗務員の行動言説を見て実感。
   おチョンコの指導者がイザという決断を迫られた時、市民や部下を犠牲にしてでも保身の為に逃げる事を最優先にするのだと。
   彼等にとって市民や部下は単なる下僕なのです。
   残念ながらセウォル号事件の死者は、被災者でなく犯罪被害者・・・だって見殺しだったんだから。未必の故意だよ(法治国家にしか通用しないけど)。
   李承晩は日本への逃亡も画策してたらしいし、釜山に追い詰められたというのも実は捏造で、北の軍にビビって実際は橋を落としてまで逃亡したというのが史実だったわけですね。
   南京事件の時の蒋介石指導部と行動が瓜二つだね。いくら中華思想だからって駄目な部分まで見習ってどうすんだか。そんなんだから当時も米に怒られて当然。クネ大統領は現代の閔妃・・・
 
■もう一人の蘇り、反日タレント
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   金慶珠氏(キム・キョンジュ)は大学教授なのに芸能プロダクション(金福子(Akko wada)率いるホリプロ)と契約して、売国テレビ番組(主にTVアカヒだけど)で反日広報してんじゃん。   
   どうしようもないおチョンコだね。やってる事はさながら反日朴政権のスポークスマンと同様。
   金氏は『❶ アメリカの売春婦像建立の動きは、ホロコーストや南京大虐殺記念館、戦争博物館が諸外国で建てられる事は良くある事で、売春婦像建立も別に特別な事ではない。この歴史問題を解決するには謝罪と賠償する事が日韓の未来志向になる。❷ 安倍政権は極右で靖国参拝は中韓のみならず米をも失望させ、世界各国が憂慮し韓国の傷に触れる行為。❸ 安重根記念館落成に際して官房長官は安重根義士を犯罪者扱いしたが、全く事実を無視してる。安重根義士は日本にとっては犯罪者かも知れないが韓国にとっては英雄であり歴史の見方は国によって異なる。』とデマと侮辱を喧伝。
 
   その様な戯言には次の通り反論する。
~   ❶ 売春婦は売春婦であり、薄給ならいざ知らず高級待遇で休日も与えられる人間を地球人は奴隷と呼ばない。以上はGHQの第一次資料が示している為、それを反故しWW2の存在すら知らない未来の子孫に流布啓蒙するのは悪意に満ちた捏造でありレイシズムの煽動に過ぎない。
❷ 顕忠院のテロリストを分祀してから被害者を装え❗️国家に殉じた御霊を参拝しない国会議員など民主党、社民党、公明党以外必要ない。
❸ テロリストはテロリスト。まして戦時でなく平時で凶行されたのだから間違いなくテロ、即ち殺人。しかも殺害現場の前に設置し、人が殺される事を礼賛する。これはテロリズムの肯定に他ならない。テロリズムを肯定する国家は自由民主主義国家ではなく、明確なテロ支援国家だ!
所詮、人の死を記念し祝賀する人間など最早人間ではない。まして沈没船に閉じ込められ死に行く人間を目前に宴会を催し祝賀するなど言語道断!!
   そんな反日金慶珠氏には全キリスト教徒の頂点に君臨する法王様の言の葉を送りたい。
~韓国民がこの事件をきっかけに倫理的・霊的に生まれ変わることを望む~
 
(あれっっ???半分にして聞いて下さいね)残念ながらまだ右脳は正常(だと思います)) 
 
Produced by box01