最近、とある仏教講和に参加したお話



仏教講和といっても一般の人むけの

住職様の経験談も含めた、わかりやすい

講和でした


その中で二十代の若い住職の話が

私の心に1番残りました


「おかげさまで」


という題名のお話でした


漢字で書くと


「御陰様で」


御礼の御に陰に様


この意味については漢字から想像する

人それぞれの解釈でいいのでは、

と思いますのでブログでは書きません


住職はホスピスで緩和ケアのお手伝い

をされているとのことでした


ホスピスには余命数ヶ月のかたが

たくさんおられます


そこで傾聴やお話をして、最後の寄り添い

のサポートをするようです


お話に登場したのは30代のシングルマザー

小さなお子様がおられたそうです


余命数ヶ月の母は、実にあっけらかんと

しておりマイナスな発言も殆どなく

肝の座ったイメージのよう


住職の冗談にも笑顔で返答してくれる

そんな人だったとも聞きました


やはり余命というのは今の私の解釈では

残酷なもので、その方も亡くなられた

とのことでした


その後、住職がその方のホスピスに来る

までの状況を知る機会があったようです


そこにはあっけらかんとした図太い母

の姿はなく現実を受け止めることが

出来ず絶望に満ちた状況が長くあった

ようでした


終末期あっけらかんとした図太い母の姿


ここに辿り着くまでに、どれほどの

階段を一歩づつ登ってきたのか


誰しもが今の自分に至るまでの道を

持っているのだと思います





最後は信じたのかな?


今の現実が自分の運命だって


自分が居なくなっても子供は力強く

生きていくって


自分自身を信じ受け入れたのかな?


それは本人のみ知るところです




信仰の中では、いろいろなものを神様に

例えることがあります


その中のひとつに

母という存在はあるように感じます



おかげさまで



御陰様で(御母様のお陰で)幸せだよって


私の中では、そう解釈することにします




どう感じ解釈するかは自分自身で決める


人の話を聞くとき、心がけていることの

ひとつです





おわり