久しく「悟りとはなんぞや」など忘れていましたが、とある仏教女子(仏教が好きな女性)から聞かれました。(内心、そんなこと他の坊さんに聞いてくれよ、と思いましたが)

 

聞かれた日の前日にYouTubeにて敬愛する花園大学名誉教授の佐々木先生のお話を聞いていましたので、何となく佐々木先生の話を思い出しなが話ましたが、喋りながら私自身が納得。

 

まずは、元祖「釈迦の仏教」での悟りと後発の「大乗仏教」(中国から来た仏教)での悟りは違うと。釈迦の仏教での悟りは「自分の心の苦しみが無くなった状態」「悩んでいたことが解決した状態」と言っていいかな。人によって悩みも違うし解決した状態も違う。そこには、ヒーローやヒロインのような存在はない。わかりやすい。

 

ところが、日本の仏教が属する大乗仏教は、悟った人は、ヒーロー、ヒロインであり、聖人君子のような存在。悟りの中身も曖昧である。悟りの解釈も坊さんによって異なる。だから、とある作家に「(悟ったとったなどという)演技と演出だけで生きている」と辛辣なことを書かれる。

 

その昔、日本に仏教を持ち帰った祖師たちは中国で修行したから、元々大乗仏教しか知らないので

しょうがないと言えばしょうがない。