大道法慧さんも、一応「坐禅をやっても何にもならない、坐禅に何かの効用を求めるものではないと言われている」とは説明しているが、その後で、こうも書いている「坐禅をすることで、本当の自分に出会える。本当の自分とは何があっても大丈夫な自分である」と。

 

さて「自分は、本当の自分に出会っているのか」。

 

坐禅を始めるようになって、仏教の三法印「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」、仏教の三毒「貪瞋痴」と「放下着」という言葉を知った。貪瞋痴、わかりやすく言えば、むさぼり、怒り、愚痴(知恵がないこと)。放下着は執着を無くすこと。

 

坐禅をやって、坐禅会に参加して、現在は座ることに苦痛は無くなった。いつも足首が痛くなっていた。藤田一照老師の坐禅指導を受けた時、師から足首の痛さに心が集中している。そのことを思う心を捨てろと指導された。

 

それから足が痛くなると坐禅後にどこに遊びにいくかを意図的に考えた。不思議だ。足の痛みはどこかにすっとんだ。そんなことを繰り返しているうちに、遊びに行くことを考えなくとも足の痛みはとれた。

 

坐禅を続けながら、放下着、貪瞋痴を自分の生活の中に据えた。さて何が変わったか。何の効用があったか。自分で感じたことは

 

1 怒る回数が極端に減った。言い換えればイライラが減った。

 毎日、職場や電車の中や街中でイライラして怒ってばかりいた。それが、半年に1から2回に。怒ったことを覚えているほど減った。

 

2 1の裏返しであるが、他人を受け入れることができるようになったし、人や物に感謝する自分が芽生えてきた。もちろん、まだ、完璧ではない。

 

3 何があってもほぼ受け入れられるようになった。まだ全てとは言えない。でも、今までの自分とは違い嫌なことも大変なことも辛いことも、完璧に受け入れているわけではないが、重く受け止めなくなったと感じている。 つづく