仏教では、生きる上で三つの気をつける事を毒に例えて貪瞋痴と言います。おそらく、他の宗教でもこの3つは戒められているのではないでしょうか。私自身、人類共通と思っています。

 

インターネットや仏教書で調べれば、直ぐに出てくる貪瞋痴。貪は字の如く「むさぼり」、瞋は「怒り」のこと、痴は「無知」な事、といってもいわゆる知識に明るいか否かではない、頭が良くて知識の詰まった人にも無知な人はいる。物事の通りに暗い人である。逆にいえば、知識がなくとも道理に明るい人はいる。

 

私も物事の道理に暗い一人である。仏道を志して出家したものの、いまだに道理に暗い。私は禅宗で本尊はお釈迦さんだが、親鸞さんに憧れる。親鸞さんは浄土真宗で阿弥陀如来信仰だ。親鸞さんは寛大だ。人間は愚かしい存在であるから阿弥陀さんの誓願で救われるから心配するなと。太っ腹だ。だからといって、何をやってもいいというわけではない。自分で貪瞋痴をなくす努力も必要だ。その上で、貪瞋痴がなくならなくても心配するなという意味であろう。

 

お金があれば何でも出来るし何でも買えるからお金が欲しいと思う。美味しい食べ物をいっぱい食べたいと思う。自分の欲望は尽きない。この欲望が叶えられなくなると怒りに変わってくる。何事もほどほどにが良いのかもしれない。自分を中心に考えることもそうだ。自分にとって心地よい事は自分を中心に見ているかkもしれない。自分が心地よくない事は自分に不利なことかかもしれない。自分を基準に見れば貪は無くならない。

 

自分の基準ものの見方を、一呼吸おいて見てみると、真実が見えてくるかな。貪ろうとすればするほど、他との競争が激しくなり心を失い怒りの瞋が湧いてくる。