・ひとりの人としゃべっていて、相手の人が、これまでじぶんが考えていたのと、まったくちがったことを言い出したとして、それが「なるほど」と感心できるものだとしたら、じぶんの、これまでの考えを変えてもいいと思うか?
ずいぶん長ったらしい言い方でしたが、じぶんと異なる意見を選べるかどうか。つまり、「変わる」ことが平気かどうか、です。
「じぶんとは変わるものだ、変わることを受けいれよう」と思って生きている人と、「じぶんは変わらない、変わってはいけない」と思って生きている人とでは、いろんな面でものすごくちがってくる。そう思うんですね。
・ぼくは、よく人に会う仕事をしていますが、「変わらないつもり」の人と話しているときには、正直言って、途中から困りだします。ほんのちょっとでも「変わってもいいか」という部分はないものかなぁ、と探してみます。会話のなかで、いろんな寄り道をしているうちに、ちょっとだけ「変わってもいいか」と、相手の方が思ってくれたら、それだけで、コミュニケーションは、とても肯定的になるんですよね。「いちごが大嫌い」という人が、「その食べ方だったら、うまいかもしれないな」と言ってくれるようになったら、それだけでもいいわけ。「変わるまいぞ」どうしじゃないだけで、ものすごく柔らかな関係が生まれ出すんです。でもねこれ、会って話している場合にはできるんだけど、ネット上の「文(テキスト)」では困難なんだよなぁ。「変わらないつもり」の人を、変わらせることは、ぼくは、ほぼあきらめることにしています。
できることなら、あらゆる人が「じぶんって変わるものだ」と思っててくれたらなぁ。「変わる」ことを怖れない人どうしだったら、人に会うことは、たいていたのしいと思うんですよねー。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。相手の頭のなかに「へーえ」が見えたら、次に行けるね。
http://www.1101.com/home.html?date=Monday%2C+May+10%2C+10
コピーライター糸井重里さんの、ほぼ日刊イトイ新聞。今年に入ってから、ほぼ毎日、いや気まぐれでチェックするようになりました
ほぼ日、と言いながらちゃんと毎日更新される糸井さんのコラム。
へぇー
ほぉー
糸井さんの考えに、考えるきっかけをもらっています。次の日になればコラムは消えて、新しいものになってしまうので、大事と思ってコピーして残しておいたものが、コレ↑↑↑
別に誰かを変えたいと思ってるわけじゃないんだけど。大人になるにつれ、自分とは違う価値観を持つ人々がいることを経験的に知るじゃない。でも、人と関わる中で自分というバリアを張って他者を排除するでもなく、全く他者に同調して自分を失うでもなく。その絶妙のバランス感覚を、全人類が持てたらなぁ。なんて考えつつ、日々人間修行に励むわけでございます。
年を重ねるほど、自分の生き方が固まるほど、そのバランスは崩れて傾いてゆくよね?じーさんばーさんが頑固になるように。
でも、他者を受け入れることは成長する上で必ず必要なこと。価値観の引き出しをたくさんにしておくことって、人生の豊かさとイコール。
(いろんな意味で)スーパーすごい人になれるとは思ってないんだけど、目指すモノとして、イメージしておくことも大事なんじゃないかしらん。
…とか言いつつ、そんなに深く悩んではおりません。毎度
秋の味覚狩りにでも出かけるか~
ルルル~
昨日は人生初、拾った栗で栗ごはんを作りました。ヤミー
皮をむきむき。腱鞘炎になるかおもた…もうしばらく作りません

次はもらったカボチャでおやつを作る!ハロウィンですから~

ずいぶん長ったらしい言い方でしたが、じぶんと異なる意見を選べるかどうか。つまり、「変わる」ことが平気かどうか、です。
「じぶんとは変わるものだ、変わることを受けいれよう」と思って生きている人と、「じぶんは変わらない、変わってはいけない」と思って生きている人とでは、いろんな面でものすごくちがってくる。そう思うんですね。
・ぼくは、よく人に会う仕事をしていますが、「変わらないつもり」の人と話しているときには、正直言って、途中から困りだします。ほんのちょっとでも「変わってもいいか」という部分はないものかなぁ、と探してみます。会話のなかで、いろんな寄り道をしているうちに、ちょっとだけ「変わってもいいか」と、相手の方が思ってくれたら、それだけで、コミュニケーションは、とても肯定的になるんですよね。「いちごが大嫌い」という人が、「その食べ方だったら、うまいかもしれないな」と言ってくれるようになったら、それだけでもいいわけ。「変わるまいぞ」どうしじゃないだけで、ものすごく柔らかな関係が生まれ出すんです。でもねこれ、会って話している場合にはできるんだけど、ネット上の「文(テキスト)」では困難なんだよなぁ。「変わらないつもり」の人を、変わらせることは、ぼくは、ほぼあきらめることにしています。
できることなら、あらゆる人が「じぶんって変わるものだ」と思っててくれたらなぁ。「変わる」ことを怖れない人どうしだったら、人に会うことは、たいていたのしいと思うんですよねー。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。相手の頭のなかに「へーえ」が見えたら、次に行けるね。
http://www.1101.com/home.html?date=Monday%2C+May+10%2C+10
コピーライター糸井重里さんの、ほぼ日刊イトイ新聞。今年に入ってから、ほぼ毎日、いや気まぐれでチェックするようになりました

ほぼ日、と言いながらちゃんと毎日更新される糸井さんのコラム。
へぇー
ほぉー
糸井さんの考えに、考えるきっかけをもらっています。次の日になればコラムは消えて、新しいものになってしまうので、大事と思ってコピーして残しておいたものが、コレ↑↑↑
別に誰かを変えたいと思ってるわけじゃないんだけど。大人になるにつれ、自分とは違う価値観を持つ人々がいることを経験的に知るじゃない。でも、人と関わる中で自分というバリアを張って他者を排除するでもなく、全く他者に同調して自分を失うでもなく。その絶妙のバランス感覚を、全人類が持てたらなぁ。なんて考えつつ、日々人間修行に励むわけでございます。
年を重ねるほど、自分の生き方が固まるほど、そのバランスは崩れて傾いてゆくよね?じーさんばーさんが頑固になるように。
でも、他者を受け入れることは成長する上で必ず必要なこと。価値観の引き出しをたくさんにしておくことって、人生の豊かさとイコール。
(いろんな意味で)スーパーすごい人になれるとは思ってないんだけど、目指すモノとして、イメージしておくことも大事なんじゃないかしらん。
…とか言いつつ、そんなに深く悩んではおりません。毎度

秋の味覚狩りにでも出かけるか~
ルルル~

昨日は人生初、拾った栗で栗ごはんを作りました。ヤミー

皮をむきむき。腱鞘炎になるかおもた…もうしばらく作りません


次はもらったカボチャでおやつを作る!ハロウィンですから~






