早朝6時。
亜熱帯のこの街も12月になると朝夕は涼しさを感じる。
まだ夜明け前、街は薄明に包まれている。
夜明けの時間が少し遅くなった。
赤道から遠くなればなるほど、季節によって、一日の長さが違ってくるのがよく分かる。
ただ、日本でなら、夕暮れの時間で季節を感じるけれど、亜熱帯の街はそれほどでもない。
6時ちょうどにホテルを出るのが習慣になっている。
近くの早朝から開いているカフェに行くために。
道路のゴミや、落ち葉を掃いて、清掃する人々が目立つ時間だ。
昼間、路上にゴミが捨てられるままでも、こうやって家の前を掃除する人々がいるから、道路がゴミで埋まってしまうことがないのだと納得する。
高層ビルが次々に立ち上がり、急速に都会化しても、旧い習いがまだ息づいている。
犬が歩いている。
猫も歩いている。
外国人が歩いたり、走ったりしている。
鳥の鳴き声が聞こえてくる。
そして、道路をそこら辺の材料で作った自前の箒で掃く音がする。
カフェに向かっていると、道路脇に座って食事をする老婆がいる。
家と外は融通無碍に繋がっている。
家のない親子が、道路脇で眠り、食事を摂り、乞食として生活の糧を得ている。
最低の暮らしかもしれないが、それでも、この街の営みの一つだ。
しかし、老婆はレストランのゴミ袋を開けて、雑多なゴミの中から見つけた飯の固まりを食べている。
この街で、物乞いとか、ゴミ拾いとか、浮浪者とか、路上生活者はよく見かけるけれど、レストランのゴミをあさり、飯の固まりを咀嚼する姿に出会ったのは初めてだった。
路上生活者の親子でさえ、食事は皿に盛られたものを食べていた。
豊かな社会の習慣を保ったこの国では、普通の人は冷えたご飯は食べない。
老婆は社会の底辺から、さらに落ちこぼれた存在なのだろうか。
もう少し違う生き方がこの国でも出来るのに、この老婆は、そんな最後の手段にも縋ることが出来ないのだろうか。
だが、それでもそれは当たり前の光景だ。
寄る辺もなく老いたとしても、人は生きてゆく。
食べ、飲み、眠り、笑い、怒り、悲しむ。
必要であれば道端のゴミ袋を漁る。
ただ、そんな単純な事実に動揺する。
そして、どんな方法でも、あの老婆を救えるとは思えないことにも動揺する。
