おはようございます

実はこれは昨日書いていたものです

そのつもりで読んでください

 

 

昨日の朝 Evernoteを整理していたら

【今何故空海か?】というメモが見つかったんです

 

 

 

房仙会は一人ずつが輝くこと

松蔭の松下村塾のように・・・

何故今 空海を教えるのか?

王羲之・書聖(58歳没)から

空海・大師(61歳)への流れ なるほど!

広島の宮島にあるお寺

「宮島弥山大本山大聖院 」と空海 なるほど!!!

 

大聖院に続いている「消えずの火」

遣唐使として中国へ渡った空海が日本に帰国して宮島へ行き、大聖院を開祖した時に灯した火のこと

いまでも大聖院では消さないで守り続けてくれている

 

 

それが、今でも広島記念公園の「平和の灯火」として人々を明るく導いてくれているのだ

 

 

 

そして今 京都の壬生寺の貫主の息子さんは

大聖院で修行中の身・・・・・

 

 

 

不思議でした

 

 

 

 

広島に行き始めて書いた供養の文字のこと

2012年に初めて行った広島でのイベントのことも、今の生徒はほとんど知らないかも?

 

 

 

由美子さんも私も若かったし、私も若かったんですラブラブ

 

確かに三島市の食育推進会議委員でしたし

10年前は読売展にも謙慎展にも参加していたのも不思議ぐらいです

 

 

 

 

今、何故書こうとしたのか?

 

 

不思議な気がしてこれをブログに書き留めようとしたのだが

昨日は中々進まず・・・・・

今朝になってしまった

 

 

 

私の書に対する考え方は、変わっていない

 

 

10年前からの大事なできごとも整理整頓しての今、

これからがあることを認め、今後の発展を期待して欲しい

このことを自分に言い聞かせる為

昨日から今日にかけての行動だったと

ようやく今腑に落ちた

 

 

年を重ねるに従って、1つずつ整理する時代に入っている

 

 

 

折重由美子さんとの出逢いがなかったら

なごみプロジェクトの斎藤欣也さんとの出逢いもなく、

宮島にいくこともなかっただろうし

感謝してもしきれない

 

 

 

 

 

 

実は昨晩厚ちゃんがこんな記事を出していた

 

この裏に隠された寂しさを感じ取れる方が何人いるだろうか?

 

なにか、この投稿を見て、私の涙腺は満タンになってしまった私

 

 

実は先日お母様がご逝去なさったのだ

8月の27日土曜のことだった

 

 

これを知らせるのも私の役かもしれないと思い公表させていただきました

 

 

彼の悲しみをじっと見守っていただき

このように房仙会のオンラインレッスンを

書いてくれた彼の心をお察しいただけましたら、嬉しいです

 

 

 

一斉にお悔やみのメッセージを送ることは

避けてください

 

 

お願いします

 

 

            福田房仙