おはようございます。

今年度初めて揃って撮った写真のことを書いてみます。

初めて画像編集したので、見にくいですが。

みんな笑っています。


 

房仙会のかわいい子ども達です。


この写真一枚撮るのに時間かけちゃいました。

何故?
一人の子が写真はどうしても嫌だというのです。
「撮りたくない」

ここから遊びのような会話が始まります。


「撮りたくないその心を教えてよ!」

言うはずありませんよね。

 

たぶんですが、お父さん  親の考え方にあるなと感じたのです。

親?
そうなんです。
こどもにとって親は絶大です。大好きなんです。

例えば

それは、たとえば房仙会教室でお菓子を食べる時も親の顔が出てくるのです。

(後で説明しますが)

「房仙会はお菓子を食べるところではないから食べない!」

と突然言いだしたのです。

「大丈夫よ、このお菓子、嫌い?」  (私)
「嫌いじゃない、でも食べたくない」       (生徒)

「どうして?」(私)

「だってお父さんに怒られるもん」(生徒)

「お父さん怒るの?怒らないよ」(生徒)

「妹が食べたがって・・・・」(生徒)

 

そうか、そうか。多分ですが。想像していきます。

 

房仙会では  誰かがお土産もって来てくれたりしたら

そこでお茶会が始まります。(決して度々お茶がでる訳ではないですが(^_^))

私が出張に行ったときにお土産、子ども達喜ぶかなと買ってくるのですが。

喜ぶ確率、半々でかなり低いです。子ども達の嗜好が変化しているのでしょう。

しっかり「これおいしい」「まずい」とはっきり言います。

 

今回主役の子ども?は、この間まで喜んで食べていたので、家か教室で何かがあったのだろうと予想はつきます。
みんなが美味しそうに食べているので、食べたくないはずはないのに・・・

 

食べない!!!

おとうさんがアドバイスした意味がきちんと伝わってないのでしょうか。

それとも???と考えながら、質問していきます。

 

質問も、私が話している事もきちんと伝わっていると思ったら、大間違いだと常に感じながら話すようにしています。

 

ほとんど、伝えたい本意が伝わらないと思って話すことが大事だと考えています。


その子に伝えます。

「せっかくみんなが揃ったので、写真撮ろうよ、とって○ちゃんのお母さんに送ってやろうよ。

きっと○ちゃんのお母さん、喜ぶよ!」
と提案した時

「絶対嫌!」と隠れ、出てこない。

 

いつもぐずってしまう子は妙に今日は良い子なんです(*^o^*)

 

 

こうなった時、上級生は 「先生はずっとやり続ける」ことを体験的に理解しています。

 

私がこんな時は燃えて途中で引き下がらない事を先輩は見て来ています。

決して途中で投げ出さない姿勢は見せ続けます。


こどもには、私たち大人が後ろ姿を見せるしかありません。

どんなに時間ロスがあっても投げ出さないことがとても大切です。

房仙イズムの根幹はこうして長い歴史の中から生まれ頑固に育んできたのです。

 

 

房仙会では【たった一人】を凄ーく大切にします。


たった一人ってすごく大事です。
何でも一人から始まります。

そこに集う子どもがそのたった一人、悩みを抱えていたり、
嫌!と言うことに耳を傾けます。

すると、子どもは、何かを感じだすのです。

何歳であってもですよ。


昨日のこの子は何かに怒っていました。

悩んでいました。


「何を悩んでいるの!」
と勘が動き出し、燃えてくるのです。



いずれも子どもの場合、ものすごく単純な悩みです(^_^)
でも本人にとって、今の悩みは深く重い悩みなんです。

話を戻します。

その子と話していると面白いことが分かってきました。

以前、お菓子を食べた後、その報告をしていなかったことがあった。

(親が教室へ立ち寄った時何かお菓子を食べていたのでしょうか?)

お父さんからなにがしかの指摘を受けたのでしょう。

それを怒られたと勘違いしていて
「房仙会はお菓子を食べるところではないから食べない」としきりに何回も言っていたのではないか?

 

あくまで推測です。

これを見たお父さん、お母さんがなにがしかの連絡をくれることを願います。

 

ほうれん草ではなく、報告・連絡・相談の報連相が大切です。

それがないと、方向性が親と指導者と変わり、うまくいかなくなるのです。


お菓子を教室で食べたことを伝えると 妹が欲しがる
先生はお父さんに話す
先生が話すとお父さんは怒る
だから今日は食べない
こんな感じに私なりに落ち着きました。

親にとっては笑っちゃう話かもしれません。
でも当人は違うんです。
悩んでいるのです。


それも誕生祝いをしようとみんなが盛り上がっているときに

突然言いだし、すね出すのです。

 

きっと家では良い子ちゃんのような気がします。

ものわかりの良い素直なよい子ちゃん。

私はこういう子が大好きです。

家で言えない。言わない、我慢する。

それを房仙会では何でも言える!

そうしたいのです。


 

あと良いことの報告です。

月曜の子ども達のお稽古中  一人の子が突然
「先生、私は4月○日が誕生日です」

と言い出しました。

日頃は口もきけない、聞かない、私のことを怖そうにみていた子です。

すると
「私も4月が誕生日!」

と4月生まれの子が二人そろったので

誕生会が始まりました。

房仙会では、誕生日だからといって特別のことはしませんし、自発的に伝えないと祝ってももらえません。


こちらから今月の誕生日の人は?と聞くことはしない習慣になっています。

 

墨汁一本をお祝いにあげて、誕生おめでとうの歌をみんなで歌うだけのシンプル誕生会。

でも喜んでくれる子ども達。

可愛いです。


すべて自分で学び、自分で伝えることを、失敗しながら学びます。


指揮者もリーダーが担当し、挨拶もリーダーが担当します。

次第にリーダーとして育っていきます。

 

絶対前になんか出ない。

リーダーなんて関係ない!と言う子がリーダーになると

がらっと成長していくのです。

 

房仙会のリーダーはずっと昔から小学6年生なんです。

 

毎週、お稽古の度に良いことがあります。

後先になりましたが。

こちらが最初にお伝えしなければならない話でした。

 

それは・・・・・・

房仙会の子ども達は学区外から通ってきます。

ですので、ほとんどの子ども達jは親の送迎が必要です。

昨日は「送迎が出来ずお休みします」と伝えてきた子を、なんとか教室につれてきたい!と

私が思ったことから始まりました。


それが決まった時は、その子はすでに学校に行っていて、親も連絡取れずにいました。

 

子ども携帯を持参していましたが、非常時のみ使用の為、ランドセルに入れっぱなしでした。


お母さんがとても良い教育をしていて
誰が来ても絶対玄関ドアは開いてはいけない
電話に出てもいけない等約束してあったその子は、

帰宅する時間に、親が電話をしても出なかったのです。


教室にお母さんから電話があり

「せっかくお迎えに行ってくれると言っていただいたのですが。

連絡取れません。残念ですがお休みさせてください」

とのことでした。

そんな時、また私は燃えるのです。

「誰かが一緒に迎えに行って、大きな声で名前を呼んだら

出てきてくれるかもしれないよね!」
というと

「私が行く、僕が行く」と大騒ぎです。


誰が行くかも、ジャンケンで決めます。

 

「では迎えに行ってください」と今回は有里佳先生に頼みました。

 

そしたら、そこにいた子が、暗い顔で訴えました。

「わたしも行きたい!」

「行きたいの?だったら一緒に行きなさい」
「後で怒られるから、行かない!」
「大丈夫!、行って良いよ!」と送りだしました。

 

来れないはずの子がこれて、その子が教室へ入った時、みんなで喜び合いましたよ。

みんな、子ども達はみんなとても嬉しそうでした。

 

もちろん、その子もです。

 

子ども達は
そのとき、そのとき、困っている その一人のために動くことが大切だと学べたと思います。

で、前に書いた「写真を撮ってその子のお母さんに伝えよう」と言うことになったのです。

そして最初に書いた、

「写真は嫌」「お菓子食べない」に続いたのです。

そうすねた子は、とても利発な素直な子です。

が、

一つ違ったら、違ってきちゃうのです。


こんな事は自分の家では余り生じないことです。

それを見逃さず指導すること。

この事を房仙会では続けてきています。

 

一つ間違うと

房仙会は何をしているの?

習字だけ教えてくれたらいいのに。

となるのですが。

 

私は頑なに個々は大人も子どもも同様、

その時を見逃さない指導をしています。

 

自由になにも言わないで過ごせば、生徒は喜ぶし、気持ちも楽だと思います。

 

でも、自分に都合良いだけの人生はない!

ことを、順序立てて教えるところも必要なのだと、踏ん張ります。


お母さん、このブログ見て欲しいな。

学校では絶対こんな時間の使い方はしません。

書道塾で躾もするの?

するんです。

 

あり得ないことの積み重ねが

房仙イズムです!

こんなそんなを理解してくれる保護者でないと私も信念貫けません。

 

大人もこの事を良しとしてくれる人だけが続く書塾です。


字を上手にしたい!

そう思って入塾してくるのですが。その後徐々に理解してくれて長いおつきあいとなります。

 

しかし、受け手はその基準はまちまちです。

 

人が見て美しい文字。

読みやすい文字。

 

どんな字をどんな風に学びたいですか?

 

房仙会は書道だけを教える塾ではありません。

 

 

ただ単に上手いではなく

自分が納得し、向上心が育つことを目指します。

 

こころも育って上手に書けることを目指します。

 

手本なく書けることを目指します。



親御さんに伝えます。

瞬間的に子どもの顔を見て何を考えているか判断してほしいこと。

それが出来ると、子どもと親とののコミュニケーションはもっと円滑に行くことでしょう。


それがどんなに大事なことか?

子ども達の声を聞いていき、最後はどうしても嫌だという子も

なんとか双方が折り合うゴールにしていくのが房仙流です。

 

 

素直な心を

素直なままに!

 

したいですよね。

 

そのお手伝いをさえていただきたいです。


子どもは素直だと思っているのは親だけかもしれませんよ。

子どもは決して素直なだけではないはずです。


小さい子もその子なりの悩みを抱えているのです。


その子にとってはとてもドロドロしたものを抱えています。

子どもの事を今日は書きました。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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