普段の投稿は、実務をしている人の時短になる情報を

提供するというコンセプトで記事をアップしてますので

とても実務的な話ばかりの当ブログですが

私は近年、心理学にも大変興味をもっておりまして

今日は久しぶりに心理学の話をアップしようと思います。

 

資格を取ったばかりの頃、10年近く前の話になりますが

今と比べると、私は、かなりストレスフルな生活をしていました。
体重も今より15キロは多かったです。

そんな私を、ストレスフルな生活から救ってくれた
考え方があります。
そのひとつが「OK牧場」でした。

ガッツ石松さんのギャグを思い浮かべた方が多いかもしれませんが
交流分析という心理学の用語です。



 

上記の図のように、人には4つのライフポジション(人生の立場)があるとする理論。
詳しい解説は、こちらに譲ります。
https://allabout.co.jp/gm/gc/301501/

牧草を食べる羊にたとえて、あなたはⅠ〜Ⅳのどの牧場の草を食べてますか
ってことで、OK牧場と名付けられました(たぶん)。
Ⅰの牧場(私はOKである、あなたはOKである)は、健康な立場(一緒にやっていく)
Ⅱの牧場(私はOKでない、あなたはOKである)は、憂鬱な立場(○○からの逃避)
Ⅲの牧場(私はOKである、あなたはOKでない)は、偏執的・被害妄想的な立場(排除する)
Ⅳの牧場(私はOKでない、あなたはOKでない)は、不毛な立場(行き止まり)

このライフポジションは乳児期の基本的信頼に
起源があるといわれています。
全ての子どもは「私はOKである、あなたはOKである」(牧場Ⅰ)
から人生を出発し、親や他人との人間関係を経て
基本的な居場所が他の牧場へ移行しまう人も出てきます。
大人になっても牧場間を行ったり来たりはしてるんですが、
ほとんどの時間を過ごす自分の好みの牧場がある。
その牧場こそが、子ども時代に自分の基本的立場として
自分が選んだ場所だと言われています。

この子どもの頃の決断は、当時の環境、とりわけ両親の影響が大きいのは

事実なんですが、とはいえ自分が選んだんだから、自分が変えることができる

→自分しか変えることができない、ということに繋がります。

それまでの私の場合、例えば、取引先のクセがすごい社長から
(私にとっては)なかなか非常識な要望を受けたとします。
当時の私には穏やかに断るという選択肢がなく、
(年配者の)いうことは聞かなければいけないという思い込みから
その場では渋々引き受けてはみたものの
俺の何かいけなかったのか?
とまずⅡの牧草を食べ
どう考えても俺がわるくないよなー、非常識なのはあっちだよなー
となり、Ⅲの牧場に移り
それから数日は、Ⅲにとどまって
やっぱり俺は悪くない、悪いのは相手と
悶々と反すう思考をして、気分が滅入る
ということを繰り返してました
振り返ってみると、私は親に対してずーっとこうだったんですよね
子どもの頃は、怒りが爆発するまで、これを悶々と繰り返してました。

あるとき、OK牧場の理論を勉強して自分が
私はOK、あなたもOK(牧場Ⅰ)
という立場にほとんどいないことに気づきました
母がまさにそういう人でしたから、小さなときから
自然と身につけてしまった心の癖ですね

OK牧場を知ってからは
(私にとって)非常識な要望を言ってくる社長もOK
(年配なためちょっと言葉遣いが荒いものの、
社長はただ要望を言ってるだけで、それは別に悪いことではない)

そして、それを断る私もOK
(相手は口でただ要望を言ってきてるだけだから

こちらも穏やかにお断りをすればいいだけ)
つまり、誰も悪くない
と考えるようにしました。

実際これを実践してみると
断ったら絶対に怒ってくるだろうなーと思っていた社長が
結構あっさりこちらの断りを受け入れてくれて拍子抜けしました。
これは特に、不動産屋や土建業のような豪快な社長に顕著でした。
向こうはただ要望を言ってただけで、それを私が勝手に断ってはいけないと
思い込み、勝手に心の中で相手を責めていただけだったんですね

反対に、先輩の他士業の人は、豪快な社長のように引かず

ネチネチやってくる人が多い気がしました。
多分、豪快な社長はⅠの牧草を食べてて、士業の人は私と同じでⅢの
牧草を食べてる人が多いからかもしれません。
そんなネチネチ他士業さんもOK、それでも断る私もOK
と私が思っていると、あまり感情的なやりとりになりにくいですし
たまに機嫌悪くして帰る相手もいますが、それでも
人には機嫌を悪くする自由もあるんだから
機嫌が悪くなった相手もOK、それに対しイラっとしながらも断った私もOK
っていうことで、ストレスがかなり軽減できたんですよね
これ、副次的な効果として、気づくと仕事したくない人とは自然と仕事をしなくなっていきました

これは私の人生にとってすごく大きなことで、そういう相手と無理に付き合っていて

いかに自分の貴重な時間やメンタルを無駄にすり減らしていたか、気づけました。

こう振り返ってみて、私の場合、出発点は
自分を責めていること
だということに気づきました。
最初、自分を責めている実感はなかったんですが
自分を正当化する理屈を探しているってことは
自分を責めているってことなんですよね
自分を責めなくなると、相手に対しても責めなくなり
小さい頃からの、こうでなければならない、という固定観念からも
どんどん解放されて、良い循環が始まりました

それでも、昔の反すう思考が戻ってしまうときもあります
そんなときは、たいていストレスがたまっているときです
そんなときは、セルフコンパッションで
そんな自分をもろとも全部受け入れてしまうと楽になれるような

気がします。