グッドルッキングホース・ミスターシービー | Rosen Konig ローゼンケーニッヒ

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ブログタイトルは、シンボリクリスエスと、ローズバドの仔である、サラブレッドのローゼンケーニッヒ(ドイツ語で、薔薇(バラ)の王という意味・牡・毛色・黒鹿毛)に由来しています。


1980年生まれで2000年12月15日の朝。この世を去った、ミスターシービー。

千明牧場で生まれた男馬という意味である通り、シービークインの一に、千明牧場を代表する馬になってほしいという願いを込め、この顔立ちの良い馬に、Mr.(ミスター)の称号を送った事から、ミスターシービーという名前の競走馬となった。

ミスターシービーは、2代、実はいたことになる。

ブライオリーパークの産駒にも同名の馬を日本ダービーに出走させたことがあるが、この時は、ヒサトモの10着に敗れた事があり、その後・スゲヌマで日本ダービーを初めて制覇し、戦後・昭和38年にはメイズイで日本ダービーを制覇している。

昭和51年・ミスターシービーの父・天馬ともいわれた、トウショウボーイと母である、シービークインが奇しくも、東京競馬場の新馬戦でデビューしました。

やがて、シービークインは、繫殖牝馬となり、千明牧場へ戻っていき、北海道・日高振興局管内・浦河郡・浦河町の岡本牧場に、千明牧場の名義で、シービークインの一を、トウショウボーイを父として産んだのです。

3歳の時の、1982年(昭和57年)11月11日の東京競馬場の新馬戦(現・メイクデビュー・東京)でデビューしたミスターシービーは、ヒラタカエイコー以下を抑えて初勝利し、続いて黒松賞も制覇、ひいらぎ賞では初の敗戦を帰すも、3戦2勝の成績で最優秀3歳牡馬に選出されて、3歳での競争生活を終えたのです。

以後・共同通信杯4歳ステークス(現・共同通信杯)を始め、報知杯弥生賞・皐月賞・日本ダービーを制覇し二冠馬になった、ミスターシービーは、菊花賞トライアルとして行われていた、京都新聞杯に参戦するも、2度目の敗戦を帰してしまう。

1983年(昭和58年)11月13日・京都競馬場の3000mで争いの菊花賞(第44回)に出走させたミスターシービー、単枠指定馬として、皐月賞以降、最後の戦いとなった、天皇賞・春(5着)まで、競争生活を送り、15戦して8勝の成績を残したのです。

Mr.シービー「ヒヒ~ン。」

ミスターシービーは、大きい雄叫びでいななきました。


15時45分・ゲートオープンと同時に、第44回・菊花賞のスタートが切られ、ミスターシービーは、後方からの競馬になったのでした。

2周の3000mのレースだけに、黒鹿毛の馬体を走らせていました。


2周目の最終コーナーから、直線コースをむき左右を確認してから、ミスターシービーは、先頭に行かせていきました。

ミスターシービーは、 2着以下を引きはなして、19年ぶりに三冠を達成しました。


Mr.シービー「ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒ~ン、ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ~ン!」

ミスターシービーは、大きい雄叫びで、いなないてやりました。

シンザン以来、19年ぶりに三冠馬に輝いたミスターシービーは。蹄を痛めた為、休養を余儀なくされたのでした。


ミスターシービーは、1983年の年度代表馬・最優秀4歳牝馬に選出されました。


美浦トレーニングセンターに戻った、ミスターシービーは、休養生活を送っていました。

「ムフムフムフムフムフムフ」

「ウ~~~~~~~~~~~~~~~!」

「ボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボトボト」

ミスターシービーは、大きく緑色のうんこ(💩)を落としていました。

ミスターシービーは、雄大な北海道・日高山脈の麓で育まれた、黒鹿毛の、野性の男雄児です。

1984年(牡-5歳)の天皇賞・秋で優勝して以降、ミスターシービーは、勝ち星から遠ざかっていたのです。

サンケイ大阪杯(現・産経大阪杯)では、ステートジャガーの2着に敗れたが、巻き返しを図った、天皇賞・春では、同じ京都競馬場でのレースとはいえ、3200mの2周で参戦したミスターシービーではあったが、ズルズル失速していき、最後の直線では同じ三冠馬で、皇帝馬・シンボリルドルフにかわされ、5着に終わった、それが、競走馬としての最後の戦いになった。










三冠馬として、日本の競馬ファンを沸かせた、ミスターシービー。


しかし、骨膜炎という、軽い炎症には勝てず、1985年8月28日・現役を引退する事が発表された。

1985年10月6日・あいにくの雨の中、東京競馬場で行われた、ミスターシービーの引退式には、多くの競馬ファンたちが別れを惜しんでおりました。

三冠馬として、長く活躍した、グッドルッキングホース・ミスターシービーは、競走馬としての活躍の幕を閉じたのです。


グッドルッキングホース・ミスターシービーは、1986年から種牡馬として、北海道・胆振振興局管内・勇払郡・早来町(現・安平町)・早来源武276番地の社台スタリオンステーション・早来で繋養生活を開始し、その後、北海道・日高振興局管内・静内郡・静内町(現・日高郡・新ひだか町)のレックススタッドに移動し、1999年の種付けシーズンを最後に種牡馬を引退するまで繋養生活を送りました。

2000年から千葉県・成田市・本城にある、千明牧場・三里塚分場に移動し、功労馬として余生を送っていた、グッドルッキングホース・ミスターシービーは、同年12月15日・蹄葉炎による衰弱の為逝去されました、享年 牡・20歳で、人間に例えれば、60~70歳前後になったたとの事です。


この間、種牡馬として繋養生活を開始した1986年には、顕彰馬にも選出された、グッドルッキングホース・ミスターシービーの、更なるご冥福をお祈りしたいと想い、願っております。