GOLD ALLURE=ゴールドアリュール 18歳で死去。 | Rosen Konig ローゼンケーニッヒ

Rosen Konig ローゼンケーニッヒ

ブログタイトルは、シンボリクリスエスと、ローズバドの仔である、サラブレッドのローゼンケーニッヒ(ドイツ語で、薔薇(バラ)の王という意味・牡・毛色・黒鹿毛)に由来しています。

ぼくの大好きな応援馬が又・1頭、天に召された。

 

サンデーサイレンスとニキーヤの仔で、アンタレスステークス・フェブラリーステークス・アンタレスステークスなどを制覇するなど活躍し、引退後・種牡馬として、スペルバインドなどを輩出した、栗毛のサラブレッドで、サンデーサイレンス産駒の馬では唯一のダートホースとしても活躍した、ゴールドアリュール(GOLD ALLURE=黄金の魅力・英 毛色・栗毛・牡・血統名 ニキーヤの1999)が、2月18日・繋養先の、社台スタリオンステーション・早来で、心臓疾患の為、牡・18歳で、亡くなったことが、判明しました。

 

1999年3月3日(ひな祭りの日)に、北海道・勇払郡・追分町(現・安平町)の追分ファームで生産された、ゴールドアリュールは、現役時代・すでに解散した、池江泰郎調教師(すでに定年につき退職され、現在は、競馬評論家で、馬主もしている方で、息子の池江泰寿さんは、現在も調教師として活躍中。)厩舎に所属し、2001年11月11日の京都競馬場で行われた、メイクデビュー・京都(サラ系2歳新馬戦)で中央競馬にデビュー、以後・フェブラリーステークス・アンタレスステークス・アンタレスステークスなど、2003年喘鳴症で引退するまで、16戦8勝の成績を残した競走馬で、地方交流競走なども制覇するなど活躍した、サンデーサイレンスの産駒では唯一のダートホースでもありました。

2002年7月4日(アメリカ独立記念日)に、大井競馬場で行われた、ジャパンダートダービーに出走した、ゴールドアリュールは、2着のインタータイヨウ以下を抑えて優勝し、中央競馬代表馬として地方交流競走のダートコースでは、初のダービーを制覇したのです。

(おりしも、2002年は、サッカー・ワールドカップ 2002 KOREA・JAPANが、日韓共催で、妖精の、スフェリックス(ニック・キャズ・アトー)をマスコットキャラクターに開催され、日本・韓国・ブラジル・ドイツ・イギリス・イタリア・フランスなどの世界各国から、ストライカーたちが参戦し、熱戦を繰り広げた年でもありましたが、ぼくは、それより、サンデーサイレンスと、ニキーヤの仔、サラブレッドのゴールドアリュール(GOLD ALLURE=イギリス語で、黄金の魅力という意味・牡・毛色・栗毛・血統名 ニキーヤの1999)が気になって、心配でたまらなかったので、それを優先して応援したのを、覚えております。)

 

2004年から、北海道・勇払郡・早来町(現・安平町)・早来源武276番地の、社台スタリオンステーション・早来で種牡馬となった、ゴールドアリュールは、現在・繁殖牝馬として活躍中の、初年度産駒・スペルバインド(SPELL BIND=イギリス語で、魅了する・魔法をかけるという意味、母・デインスカヤ(母の父・デインヒル)・血統名 デインスカヤの2005・これも、ぼくの応援馬の1頭)などを輩出するなどとして活躍しました。

 

ゴールドアリュールは、今年・体調不良を訴え、療養生活を送りましたが、2月18日には、心臓疾患により、牡・18歳と若くして亡くなったとの事ですが、亡くなる直前には、産駒の1頭・アスターゴールドが、メイクデビュー・京都で1着となり、勝利を収めたのが、ゴールドアリュールの最後の勝利産駒馬となりました。

 

牡・18歳と、若くして亡くなった、ゴールドアリュールの冥福を祈りたいと想い、願っております。

 

ゴールドアリュール、フェブラリーステークス・アンタレスステークス等、16戦8勝挙げるなど、競走馬としての想い出を残したり、種牡馬としてでも大きな産駒を残してくれて、ありがとう。

 

若くして逝去されてしまい残念でならないね。

 

天国に召されて行っても、心の中でゴールドアリュールは生き続て行くから、見守っていこうね。

 

さようなら、ぼくの大好きな、応援馬の1頭・ゴールドアリュール(GOLD ALLURE=黄金の魅力・英 血統名・ニキーヤの1999・牡・毛色・栗毛)、天国で安らかに眠ってね。