すっぴんな鹿毛の馬・女傑 ウオッカ(VODKA) | Rosen Konig ローゼンケーニッヒ

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ブログタイトルは、シンボリクリスエスと、ローズバドの仔である、サラブレッドのローゼンケーニッヒ(ドイツ語で、薔薇(バラ)の王という意味・牡・毛色・黒鹿毛)に由来しています。

きれいで、すっぴんな、鹿毛の馬、女傑・ウオッカ、それは、タニノギムレットとタニノシスターの仔として生まれ、育成された、鹿毛の素質馬です。


2004年4月4日・北海道・静内郡・静内町(現・日高郡・新ひだか町)の、カントリー牧場、ここで、1頭の仔馬が、生まれた、それが、女傑・ウオッカです。


この時は、タニノシスターの2004で、顔が、ミロのヴィーナスのオブジェを想わせる顔で出ていました。


女傑・ウオッカ(タニノシスターの2004)は、日高山脈の麓の牧場で、幼年時代を送ったのです。


2006年・牝・2歳になった、女傑・ウオッカは、産地馬体検査を受検、同時に、栗東トレーニングセンターの、角居勝彦厩舎と、預託契約をかわしました。


(女傑・ウオッカの、管理厩舎・角居勝彦厩舎の、調教師・角居勝彦氏は、1964年(昭和39年)生まれ、石川県・金沢市出身で、グランド牧場の勤務をへて、日本中央競馬会(JRA)に入会後、栗東トレーニングセンターの、中尾謙太郎厩舎などでの、厩務員・調教助手を経験、調教師試験に合格後は、松田国英厩舎での、技術調教師の仕事を行った後、2001年に、二分久男厩舎の預託契約管理馬を引き継いで、角居勝彦厩舎を栗東トレーニングセンター内で開業、現在・ブーケフレグランスなど、多くの現役競走馬を管理しております、過去には、ハットトリックなども管理していた時もありました。)


女傑・ウオッカは、同厩舎に入厩後、調教などの調整をへて、10月29日・京都競馬場で行われた、メイクデビュー・京都(サラ系2歳新馬戦)・1着でデビューしました。


2戦目の黄菊賞では、2着となり、初の敗戦を帰したが、3戦目の阪神ジュヴェナイリーフィリーズでは、2着馬を抑えて2勝目を挙げ、この年のJRA賞・最優秀2歳牝馬に選出されたのです。


2007年・3歳の逞しい牝馬に育った、女傑・ウオッカは、エルフィンステークスに出走させて1着となり、チューリップ賞でも2連勝としたのです。


次の、桜花賞(阪神競馬場)では、2度目の敗戦(2着)となったので、優駿牝馬(オークス)には、出走せず、東京優駿(日本ダービー)に、出走させ、2着馬を抑えて優勝、64年ぶりに、牝馬のダービー馬誕生となりました。


2008年・女傑・ウオッカは、ドバイ・ワールドカップ・ミーティング・デューティーフリーに参戦し、4着でレースを終えたが、初のドバイ遠征による、参戦は、競馬史上、例を見ない試みで有りました。


帰国後、ヴィクトリアマイルに参戦しましたが、エイジアンウインズ(現在は、繁殖牝馬として繋養生活中。)の2着に敗れることになったのです。


6月8日・東京競馬場で行われた、安田記念、女傑・ウオッカは、期待を背負って参戦したのです。


角居厩舎の同厩馬で、美浦・清水美波厩舎から移籍した、ハットトリックが、安田記念直前に、シャトル種牡馬として、外国で繋養生活を送ることになって、引退してしまった後でのレースだけに、女傑・ウオッカは、同厩舎の期待を背負ってレースに挑んだ。


女傑・ウオッカは、2着馬に大差をつけて勝利、安田記念の優勝馬になりました。


女傑・ウオッカは、その後、毎日王冠では2着に終わったので、天皇賞・秋に参戦、見事優勝しました、ジャパンカップでは、3着に入る健闘を見せ、この年の、JRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に選出されました。


2009年・牝5歳になった、女傑・ウオッカ、再度・ドバイに遠征、ジュぺルハッタ(G2・5着)・ドバイ・ワールドカップ・ミーティング・デューティーフリー(G.1・7着)と、2つのレースに、出走しました。


ドバイでの成績を手土産に、日本に帰国した、女傑・ウオッカは、5月17日に東京競馬場で行われた、ヴィクトリアマイルに参戦しました、昨年は2着と、優勝を逃しただけに、今年こそはと、ウオッカを出走させました。


ウオッカは、2着馬を抑えて、ようやく、昨年手にすることができなかった、優勝の座をつかみ取り、勝利を果たしました。


この年は、ウオッカのライバル、ダイワスカーレットなど、有力馬が相次いで引退しました。


6月7日・東京競馬場で行われた、安田記念に、女傑・ウオッカは、連覇をかけて、出走しました。


女傑・ウオッカは、アルマダに、2馬身差をつけて、優勝、見事連覇を果たしたのです。


女傑・ウオッカは、毎日王冠に参戦しましたが、2着、続いて、連覇をめざそうと出走した、天皇賞・秋は3着までと、思ったほどの成績を残せませんでした。


2009年11月29日、東京競馬場で行われた、ジャパンカップは、女傑・ウオッカが、全力で走りだしてくれる、唯一のレース、2007年は4着、2008年は3着と、あと一歩のところで、優勝を逃し、敗戦を帰しているウオッカにとっては、負けられない、今度こそ勝利しようと、女傑・ウオッカに託したのです。


オウケンブルースリーが先頭に立っていたところへ、女傑・ウオッカは鼻差差し切ったところで、ゴール板を通過しました。


写真判定の末、女傑・ウオッカは見事に優勝、念願の、ジャパンカップの優勝馬に輝きました。


ところが、レース後、女傑・ウオッカに異変が起きたのです、鼻出血を出し浴びせたのです。


その為、女傑・ウオッカに対し、出走制限がかけられ、有馬記念には、出走できなくなったのです。


2010年・牝・6歳の、きれいな鹿毛の馬に成長した、女傑・ウオッカ、2009年度のJRA賞・年度代表馬・最優秀4歳上牝馬に、再度・選ばれたのです。


通算成績・26戦10勝(内・JRAでの成績は、22戦10勝)に及び、他に海外での成績は、4戦0勝に及び、獲得した賞金は、1304876万円に及びました、女傑・ウオッカは、2007年には、JRA賞の、特別賞にも選ばれました。

(この年の2月18日には、同厩馬の、ポップロックが、アイルランド・HRI(Horse Race Ireland)・カラ競馬場の、児玉 敬厩舎に移籍するため、JRAの競走馬登録を抹消されたのです。)


2010年3月2日、女傑・ウオッカは、再度・ドバイに遠征させたのです、今まで、ナドアルシバ競馬場で行われてきた、ドバイワールドカップミーティングが、今年は、メイダン競馬場で行われることになったのです。


3月4日・マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド・3、それに、ウオッカは、勝利を賭けて、参戦しました。


スタートした時、女傑・ウオッカは、いい走りぷりを見せながら、先頭へとうががっていました、ところが、女傑・ウオッカは、ちょっと失速、結局、女傑・ウオッカは、レッドディザイアの8着で、レースを終えました。


「ヒュヒュヒュヒュ~ン!」


女傑・ウオッカは、悔しそうにいなないたのか、微量の鼻出血を出していました、その為、ドバイワールドカップの出走を取りやめたのです。


2006年10月29日に、京都競馬場で行われた、メイクデビュー京都・1着でデビューを果たした、美しく、きれいで、すっぴんな、鹿毛の馬・女傑・ウオッカも、今年の、3月4日に、ドバイ・メイダン競馬場で行われた、マクトゥーム・チャレンジ・ラウンド3・8着が、最後のレースとなりました。


オーナーで、生産者でもある、カントリー牧場代表の、谷水雄三氏(株式会社・タニミズ企画・代表取締役社長)と、所属厩舎の、角居勝彦調教師は、女傑・ウオッカの今後の対応について、協議した結果、JRA賞・年度代表馬も、2回受賞したことから、繁殖牝馬にして、後継産駒を残したほうがいいと判断し、現役引退を決定、3月8日に、角居勝彦調教師は、中山競馬場で引退会見を行いました。


いよいよ、女傑・ウオッカが、繋養地・アイルランドへ行く日が来ました。


繋養先は、海外の牧場を探した結果、アイルランド・キルデア近郊の、ギルタウンスタッドに決まりました。


3月13日、遠征先の、ナドアルシバ競馬場の厩舎には、レッドディザイアの他、ブエナビスタなどが入厩しておりました。


いよいよ、女傑・ウオッカは、遠征先のドバイを名残惜しむように、別れ、馬運車に乗りました。


ドバイの空港に到着した、女傑・ウオッカは、飛行機に乗せられ、ドバイを後に、イギリスのヒースロー空港を経由して、ニューマーケットに向かいました。


サウスフィールズ・ステーブルズの、厩舎に到着した、ウオッカは、ここで一泊するため、馬運車を降り厩舎に入りました。


14日は、サウスフィールズ・ステーブルズの厩舎を馬運車で出発した、女傑・ウオッカは、途中・ホーリーヘッド港から、フェリーで、アイルランドの首都・ダブリンの港に入り、更に長い道を走って、15日の、朝・8時30分には、繋養先の、ギルタウンスタッドに到着、繁殖牝馬用の厩舎に入りました。


女傑・ウオッカは、3月18日(日本時間・19日)付けで、競走馬登録を抹消され、長い競争馬生活に別れを告げ、引退しました。


現在・女傑・ウオッカは、アイルランド・キルデア近郊の、ギルタウンスタッドで、繁殖牝馬として繋養生活を送っており、6月3日(日本時間・6月4日)には、過去・2回種付け交配をしていながら、不受胎に終わり、今回・3度目の種付け交配を行って成功した、凱旋門賞優勝馬・シーザスターズの仔を受胎して、妊娠生活を送っており、うまく行けば、来年の4月に待望の初年度産駒が誕生する予定になっており、その、初年度産駒が無事に出産し、輩出することを、願っています。