昭和47年5月15日沖縄本土復帰(返還)から52年のニュースの中で、沖縄に行くにはパスポート(身分証明書)が必要だったことに驚いていた若者がいた。よくよく考えてみればその若者たちが生まれる30年近く前の事だもの、知る由もなくて当たり前なんですね。
前年(昭和46年)年末から復帰年(昭和47年)の正月過ぎまで13日間の一人旅。
高校3年の2学期終業式を午前中に終えた私は、旅行鞄一つ携えて名古屋駅から新幹線で新大阪へ、そこからはブルートレイン(寝台特急)で西鹿児島に行き、翌日は鹿児島新港からフェリーで那覇へ一人米国統治下の沖縄への貧乏旅。
思い起こせば当時高校生の一人旅は学校の許可を得るのにとても苦労したのが今でも強烈に思い起こされます。
今では高校生も卒業旅行は当たり前で許可など必要も無く何処へでも自由に旅行できるの時代ですが、この頃の田舎の高校にはそんな考えは全くない時代でした。
それでも担任や生活指導部長の先生も最終的には許可を出してくれました。
私は貧しい家でしたが、アルバイトで稼いだ金で行くことに家族も何一つ文句も言わずに送り出してくれたことを今でも感謝しています。
5月15日の沖縄本土復帰の日になると当時を思い出します。
ちなみに当時のレ-トは1US$=318円
新卒の初任給は高卒で4万円大卒で5万程だったと思います。