なんかふと「そういや、ブチ抜き日誌で書いて無かったかな?」と思ったので 書いておこう
俺がまだ、大型乗り始めて1~2年
当時のバイク屋「R」では
毎年 夏に、キョロロン村ってとこに泊まりでツーリングに行くのが恒例だった
当時は、最初の1台のD型(ZZR-1100)で
メータは320まであった(筈)
なにしろ、当時はイケイケだ
生まれて初めて200出したバイクだし、公道最速がスローガンだし
キリンでマスターが乗ってたヤツだし
邪魔な物は全てブチ抜いて、空いてる隙間は全部通り
アクセルは開けられるだけ開けて
喘ぐように、1mでも先にと
いついかなる時も
腹ペコの狼みたいな状態
まだ、色んな物が未熟だったが
動体視力だの反射神経だのは、悪く無かっただろうし
何よりもスピードが一切怖くないという、特殊能力を持っていた
ダブジーも良いバイクだった
今、思い出しても
あのカウル形状と安定感は、ハンパ無くて
200なんて、鼻クソほじりながら出せた
「R」は、ツーリングに対して ルールとかがうるさく無かった
誰がどう走ろうが、Nさんは最低限の注意しかしなかったし
飛ばすのが好きな客が多かったので、俺はいつの間にか いつも先頭を切っていた
東北道は、ご存知のように 広い所で片側3車線
やるには絶好のシチュエーション
“今日は出るかな”
いつもそんな事を考えていた俺は、この日も当然 狙うつもりだった
“じゃあ、出せばいいじゃん?”
出ないのだコレが
現行の隼とかがどうなのかは知らないが
どれだけ交通の流れが良くても、目の前には常に数台は車が見えているもんだ
実際にやってみると
250ぐらいまでは簡単に行くのだが、280の辺りから いろんな物が邪魔になって来る
注視するのは常に数100m先で
後ろも見ずに、急な車線変更をして来る可能性を考慮し
自分にしか見えない “行けるライン” をサーチし続け
風圧や気温にメンタル的な物も左右し始め
その中で、何かが心に引っ掛かれば 一旦速度も気持ちもドロップさせ
250~60ぐらいからのリトライ
ほんの少しの事が、とんでもない距離と時間をかけての修正を要求する世界
そして
次のチャンスを待って、また飴のように粘っこいメーターの針をジワジワ上げて行く作業になる
結局、この日も
宇都宮に着くまで、チャンスは来なかった
「日光・宇都宮道路?」
当時、まだ日本の道路の殆どを知らなかった
だが、何人かが言った
「お前なら、出せるかもな」
「・・・!?」
凄まじかった
片側2車線
決して幅は広くは無いが、水平で見通しが良く、車が全く走っていない
しばらくの値踏みの後
俺は後方に1台だけ着いてくるハセを確認しながら、気持ちを固めた
やる
今日、ここで
一瞬だけ この為に全てを棄てる
若いよねー
独身って強いよね
上体をガッツリ伏せ
可能な限り両腕を締め込んで内側に
両足は数カ所で車体を締め上げ、とてもじゃないがコーナーリングには移行出来ない姿勢と力の入れ方
ステップも思い切り後ろに蹴り、根を張るように身体を車体と融合させる
250
270
直線だけでは無い
でも、そのまま曲がれる 限りなく真っ直ぐな高速コーナー
心臓が早鐘のように鳴る
違う
高揚してるのだ
世界が狭まる
凄まじい音がエンジンと言わず、マフラーと言わず、この為だけの存在のように雄叫びをあげ
それでも、力強いフレームはビクともせずに
全身を押し潰すそうとする鉛のような風圧を押し返す
280を針が越える
行ける
そう、拙い経験と勘が囁く
鈍く
ゆっくりと
上昇は止まず、重く強張った空間を
カワサキの “世界最速” が喰い千切って行く
・・・え?
風圧の中で震え続けていたブレーキレバーが
ゆっくりとコチラに押されている
即座に、人差し指と中指をグリップから放し 突っ張らせる
クラッチもか?
凄えな
ニヤリと笑う
数100mを使った、長く緩やかな
凡人には直線にしか見えないような竜の背を
数ミリ単位の身体の動作と、焦げ付くような焦燥感で
1が100になる速度域
可能な限りアウトに寄り
1mでも長く加速出来るラインを創りながら
たったそれだけでもドロップする針を睨み続ける
295
来る
“アレ”が
現実となって、俺の目の前に
遙か遠くだった
影が1つ
ああ、アレは確実に絡むな
決めるのに0.1秒もかから無かった
俺は、ソレをこのままブチ抜く事に決めた
親指を動かし、パチりとハイビームを点ける
そのまま動くな
一瞬で終らせるからよ
邪魔したら殺す
もう、道理じゃなかった
左車線
敢えて、その更に左側
現在
もう、あんな事
面倒くさくて、やる気も無いが
それは
やり遂げた人間だけが言える、特権という価値そのものなのかなとも思う
















