オムロ・ライオットです。ダイエット、ダイエットとワーワー騒いでいたんだけど、昨日、一昨日は久々にがっつり飲んだ。焼き鳥から串カツから焼酎からビールからカルーアミルクまで。
気づいた頃には、まんまと酔っ払っていて家に帰るなり泥のように眠るのであった。
そういう時はいつの間にかポケットの中に謎のマッチや謎のコードが入ってたりすることがある。タバコも吸わないくせにマッチなんて山のように積み上げられてたり。くれんならもらっとくわなんて言ってんだろ。自分の中に潜在的に貧乏性なとこがあるんだなぁと実感する。

酔った時なんてのは記憶をさっさと投げ放ってしまって好きな話を好きなだけすればいい。終電の時間で帰るのは寂しいなんて思うだろうけど終電の時間がなけりゃ、おそらく俺は今頃死んでるだろう。どうやって家に帰ったか、なぜ無事に朝を迎えられたかどんな恥をやらかしたか一切記憶にない時は助かったような気分になるけど楽しかった夜のことまで忘れてしまっていそうで少しばかり寂しいものだ。

最近は色々な誘惑が多くてどっぷり集中して音楽を作ったりってことはかなり減ってしまった。
だけどかれこれ10年以上続けてる常に新しいメロディを考え続けるってのは癖になっていて簡単には頭の中からいなくならないみたい。音楽と私生活のバランスがいいと感じる時でも土砂降りの雨のような気分の時でもずっとメロディはなっているんだ。強いて言うなら人の音楽聴いてる時くらいなんじゃないかな。脳内で音楽が鳴っていない時は。
曲を作ってる時はいいんだ。どうしても歌詞を書く事が苦手で、悩み抜いた結果これ以上考えて、でなかったら早々に諦めて、最初に直感で出てきた単語を当てはめちゃう悪癖があるんだ。だけど前後の物語との整合性が取れてなかったりして、嫌になって結局テレビなんて見始めちゃう。

おそらくなんだけど尖ってる事とか剥き出しな感情を人に見られるのが恥ずかしくなったりして、責任感にプレスされて、どんどん考えが人付き合いの柔らかい方に凝り固まっていっちゃってるんだなぁと気付いてしまった。
そしたら、子供の頃は大人になりたくないなんて言い続けてきたけど、実は大人になった今でも大人にはなりたくないと思ってたりする。
そんな考えの大人はただの役立たずだなんて俺は思ってるから、その気持ちってのは子供の頃にだけ許されている特権なんだね。

さて歌詞の話に戻るんだけど、正解として5〜10分で書ける文章ってのは、恐らく本当に言いたい事であり、一番メロディに馴染むであろうという考え。それと、何日も何日も頭を抱えて悩み整合性の取れた綺麗な言葉でメロディとすり合わせていくという考え。自分がどっちにあってるのか今だに見つけられないでいる。

そして今日もまた考えるのをやめ、深夜番組を見始めるのであった。


via 暴動激震5
Your own website,
Ameba Ownd