昭和中期の風情「呼松街道」~ まちかど Bra. | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

台風2号の影響で梅雨前線が一時的に活性化しただけの「梅雨入り宣言」…

台風が通過すれば本来の梅雨入り前の「若夏」に戻るんだろうと~

単純に考えていましたが…

矢張り「梅雨入り」らしい天候不順の降ったり止んだりの紫陽花の候…

実家の親の「ナンチャッテ介護」で恒例の毎月初旬は県境跨いでの270㎞移動…

 

親が3ヶ月ぶりのパーマ屋で寛いでいる間…

界隈を散歩中に幼少の頃歩いたことのある懐かしい旧街道に遭遇…

余りに卑近だったのですっかり視野の外でしたが実に懐かしい…

(遠縁の親戚の旧家があった筈なんですが… 見当たらない…)

片道2㎞を往復40分でシトシトの雨中を逍遥…

結構古くて造りのしっかりした洋風建築が残っていたり…

意外に小売酒屋さんが多かったり…

頑固そうな魚屋さんが現役で頑張っていたり…

造園業者のご主人?の斬新な「拘り」だったり…

 

(町医者建築はモダンな造りの西洋風… まだ現役かも…)

(旧「呼松郵便局」 アールデコ調木造2階建洋風建築 昭和10年建立で築80年になる平成26年に移転し空家に…)

(旧中田酒造「歓びの泉」醸造元 安永2年(1773)創業 平成21年廃業)

(廃屋ではありません… 現役で頑張っている魚屋さん) 

(造園業のご主人の拘りなんでしょうか…? 凄い数の多肉植物群)

(これも冷凍食品メーカーの社長の拘りでしょうか…? 刺身も自販機で…?)

「呼松街道」とでも称うのでしょうか…

近世は天城池田家の所領で、タイやサワラの好漁場のある漁村として栄えていましたが、

戦後、水島臨海工業地帯が造成されてから「呼松水路」の奥に閉じ込められる位置となり、

昭和中期には公害や水質汚染の影響で漁場としての機能は衰退…

近隣の福田地区や広江地区が工業地帯の活況により市街化と人口増が進んだ傍らで、

経済の流れからドロップアウトした地域…

ある意味、市街化開発の波を被ることがなかった分、

昭和中期の風情が比較的残ったままなのが…

街全体が頑固そうなイメージとなって歩き心がそそられます…