長州街道ガイドウォーク ~ 小郡地区⑫ | 「沖縄病」の楽しみ方…?

「沖縄病」の楽しみ方…?

空港に降り立った途端に味わうまったりとした空気感が好き…
「また来たよ…」とついニヤリとしてしまう…
先日戻ったばかりなのにもう次の訪沖のことを考えている…
そんなあなたの症状を改善? 助長? いたしましょうかね~

山口市小郡地区の古地図ガイドウォークは、
前出の「藩米津出蔵」の場所が東端になります。
そこを流れる椹野川を東方に渡れば山陽街道は陶(すえ)地区→鋳銭司(すぜんじ)地区、
更に東進すれば「三田尻宰判」の管轄へ…

江戸時代は、この椹野川を越えるには、
渡船を利用するか、
干潮時に自ら徒歩で渡るしかありませんでした。
橋が架からなかったのは、
藩による危機管理対策かと思いましたが、
どうも当時の建築工法のレベル上の問題だったようです。

イメージ 1
上の明治時代初期の絵図を見る限りは、
当時は物流の大半を担っていた「北前船」の大型帆船が犇めき合って賑やかな様子…
記載の「東津橋」は明治5年に初めて架橋(木橋)されています。
しかしながら、もうその時分は、
上流からの土砂が下流に堆積して大型船は遡上出来ない状態だったようですから、
この絵図は「フェイク」なんですかな…?