物事に寛容で…
イチャリバチョーデーで…
朗らかで…
話していて楽しくて…
適当にテーゲーで…
あぁ、沖縄の人だな~
と、何となく親しみ易さを感じていて…
沖縄の人全てにそんな先入観を抱いていると、
とんでもないカルチャーギャップを感じる瞬間があります。
那覇・牧志の「ちんだみ工芸」にいた西崎青年団の「地謡」のお兄さんに、
バチの叩き方はこうするんだと、
バッチンバッチンしごかれた時もそうだったんですが、
こと「三線」に関わる「琴線」の部分に触れてしまった時には…
目の色が変わる人がいますね。
皆が皆じゃないんでしょうが、ある系統の人は。
広島「うちなー」の大将には、
調理場に相対するカウンター席で、
本土の沖縄料理店では中々扱わない沖縄野菜の料理についての思いとか、
泡盛は何処の酒がどうだとか、
普段は楽しく酔客のお相手をして頂けるのですが、
ある日、
「三線」を習い始めました、と云う話になった途端、口数少なになり…
「……」
「BEGINの”ミーファイユー”には思い出があるんですよ~」
「……」
「私の娘がね。大学入学で東京で一人暮らしを始めてね~」
「……」
「この曲を聴くとね。その頃の娘のことを思い出すんですよ~」
「ごめんね~。私はそういう曲知らないんですよ。」
「!? …」

本格的に民謡をやっている方々には、
こうしたポップス系統の音曲を毛嫌いする傾向があるようで、
その曲とか歌い手さんの何がどうしたとかのお話は、しつこく続けていると、
その場が白けてしまうこと請け合いです。
因みに、ここの「うちなー」の大将は、
宮城武碩先生の門下生で師範の免状を取得しています。
あれから、
大将の前では「三線」の話はしないようにしています。