先日BSの番組で赤い鳥が取り上げられている場面を観て、不意に心の奥底に沈んでいた小学生時代の記憶が蘇ってきた
それはある年の合唱発表会での出来事だ
まずステージに立った低学年の子たちが
赤い鳥の「翼をください」を歌った
彼らの歌声にはビブラートのたぐいが一切がなくどこまでも真っ直ぐで無邪気な希望に満ち溢れ「空へ羽ばたきたい」という願いが詰まっていた。それは会場全体が白く清らかな光に包まれたゆるやかな癒しの時間だった
(´-ω-)ウム
問題はその後だ
それから後にステージに上がった我々高学年組はあろうことか「勇気ひとつを友にして」を歌う事になっていた
そう、ご存知ギリシャ神話のイカロスが太陽へと特攻して落下する物語だ
我々の中には声変わりが始まりつつある者もいて少し陰鬱な、それでいて「勇壮に」と指導されるので不自然な声色であの悲劇を歌い上げる
改めて歌詞を辿れば辿るほど追い詰められた無謀で悲惨な内容である
低学年の子たちが「自由な翼」を夢見た直後に我々は「蝋で固めた鳥の羽根」というRPGの初期装備にも劣る脆弱な装備で太陽に挑まされて案の定、羽根を溶かされ真っ逆さまに墜落していくという驚愕の高低差を持つストーリーをすんなりと受け入れられるほど当時のワタクシは大人ではなかった
「翼をください」という精神の自由への憧憬と「身の程知らずは墜落する」という物理的限界の突きつけ。この二つを同じプログラムに組み込んだ大人たちの無慈悲な感性に子供ながら言いようのない「やるせなさ」を感じていた
音楽には「様式美」がある
物語には「一貫性」がある
しかしあの日の体育館に響いていたのはそれらを一切無視した「情緒の交通事故」だった
成層圏まで持ち上げられた直後パラシュートも持たされずに放り出されたようなあの感覚
赤い鳥の美しいコーラスをテレビで聴きながらあの日体育館のひな壇の上で「イカロス…そら無理やて…」と感じていた幼き自分の肩をそっと抱いてやりたい気分になったのである
