ある日facebookを見ていたら、俺のFBが久しぶりに投稿していたので見てみると、そのFBの友人Oが死んだと伝えていた。
その友人はすでに廃刊となったバイクツーリング雑誌のカメラマンをかつてやっていて、元々は岩手県の人間だったが、北海道に拠点を移して商売を始めようとしていたらしい。
そのOとワシは友人でも顔見知りでも何でもないのだが、実は10数年前にちょっとした諍いがあった。
その諍いとは、当時俺が参加していたfacebookのグループで、雑誌アウトライダーについて語り合う場であった。
語り合うのだから賛美と批判の両論があって然るべきなのだが、Oはそれを良しとしなかった。
そこで俺はある日「昔のアウトライダーは面白かったが、最近はつまらなくなった」と書いた所、そこのグループ管理人をやっていたOの逆鱗に触れたらしく、グループを追放された。
本当の事を書いただけなのに、それだけの理由で追放されたのが納得行かず、O本人にも直談判を申し入れたが、全く聴く耳持たずしかもO個人からもブロックされた。
実際ツーリング雑誌アウトライダーの全盛期は1980年代末から2000年初頭までで、編集長が代わり人気連載コラムが終わり、表紙デザインが変わり、そのうちそのカメラマンOが入った辺りから急に記事がポエムチックになってつまらなくなり、写真もトーンが暗く読んでてもワクワクしなくなったのは本当の話だ。
俺が好きだったコラムは、TWに乗る廣瀬氏とナチュラルツーリングの寺崎勉氏だった。
その当時のアウトライダーはわちゃわちゃしており、写真も明るく、ライターも個性派揃いで非常に濃いメンツだった。
俺の感想が根も葉もない話ならばそうされても仕方ないが、核心を突かれて都合が悪くなったからか、無駄に高いプライドを傷つけられたのか知らんが、読者の意見をまともに聞かない当時は何処の馬の骨とも知らないカメラマン風情にブロックされたのはかなりムカついたのは良く覚えている。
以来、バイクイベントのレポートなどであのデブメガネ髭面を見ると即座に雑誌を閉じたり、ネットだったら他のページへ反射的に飛んだものだ。
久しぶりに買ったツーリングマップルの北海道版にもOの名前が書かれていた所はちぎって捨てた。
あのデブメガネ髭面を見るとアレルギーを起こしそうになる程目障りだったからだ。
やがてそんな感情も記憶と共に薄れ、Oは俺にとっては過去の遺物となったがこの日、突如この様にして知らせが舞い込んだのだ。
裏垢を使ってそのOのアカウントを見ると、Oの妻がそいつの病死を報告していた。
数年前に肝臓癌を発症し、今月に入って脳内出血を立て続けに発症してそのままお陀仏になったとの事。
facebookのその記事にはたくさんのお悔やみのコメントや悲しいねのスタンプが当然の付いた。
しかしこの知らせを受け俺はあの時に受けた理不尽な試合の記憶がありありと蘇りこう呟いた。
「ヨッシャー!!!!死んだー!!!」
勿論俺の恨みが通じてなった訳ではないが、憎んでいた相手が死ぬと言う事で、一つの区切りが付いた気がして清々したのは正直な所だ。
こんな事、リアルな友人が居るfacebookや Twitterではとても書けないが、だれとも繋がっていないここでなら心置きなく書ける。
小原信好が死んでとても俺は嬉しい。
あのデブメガネ髭面がこの世からいなくなった事で、一つ俺の気持ちが軽くなった。
あー良かった良かった♬
俺にとってとっとと死んでほしい奴はあと何人か居るから、少しでも早くそいつらも病魔や不慮の事故で死んで欲しいと心の底から願っている。
1人デスノートみたいな感じで今後気が向いたら、早く死んで欲しい連中についても触れたいと思う。