二十歳を過ぎた頃。
最低限の着替えを詰めたリュックと標準レンズを着けたCanonを肩に、
ありったけのお金で買ったコダクローム(ポジフィルム)を持って雨の夜、飛行機に乗った。
三日後の朝、ゴビ砂漠の地平線まで続く直線を砂ぼこりにまみれて走るバスに居た。
ら、
バスぼっこれた。
オアシスと言うんだろうか、砂漠の中の名前も知らぬ(聞いたけど覚えてない)小さな町でバスが直るのを待つ。
どこの国でも田舎の人は親切で(そうか?)食堂に入ると「これでもかこれでもかさあ食えどんどん食えちょっと残せ(食堂の人の為に)」大量の『ほんとにもの凄く美味しい料理(だけどどれもが青椒肉絲みたいな。肉と野菜を油で強火で炒めた)』を出してくれた。冷蔵と言う習慣がないのでぬるいビールも飲ませてくれた。
食事が終わってもバスが直る気配はない。仕方なく小さな町を散歩する。どこの角にも家の前にも、そう言やさっき食堂のトイレの窓の外にもあったな。背の高い硬い朝顔みたいな花。赤、黄、ピンク・・色とりどりで砂漠の強い陽射しの中、そこら中に咲いてる。
その花が立葵(たちあおい)と言うのだと先週知った。
近所のファミマの角に咲いてたから。
「どういう形であれ、元気なお父様を見れるのは今が最後です」
(これを元気と言うのならばね)
「家族の方がびっくりされるくらいぼんやりとしてしまいます」
「覇気がないと言いますか」
(ですか)
「痴呆を直す薬は存在しません」
(な、こたぁわかってら)
「破壊や暴力を抑える為、ぼんやりさせる薬を飲ませます」
「ご飯を自分で食べられる程度ギリギリまで脳の働きを抑えます」
「ですが効き過ぎると食事が取れなくなり誤嚥(ごえん=飲み込めないこと)を起こし肺炎になってしまいます」
「誤嚥性肺炎で亡くなる方は多いです」
「そのリスクを承知してください」
精神科のお医者さんが丁寧に時間を掛けて説明してくれる。
これはきっと「もうお父さんは治らないのね」「ヨヨヨヨヨ・・」と泣き崩れる家族も居るからだろう。後で『ぼんやり父さん』を見て、文句を言う家族も居るのかも知れない。
うっちはねぇ・・
気にしない。ちゅうか、全然構わない。
このままで皆さんにご迷惑をお掛けするくらいなら薬で抑えて頂いた方が。
全て先生にお任せします。
と俺。
「ではこちらの延命処置に関するご希望を記入頂いてサインをお願いします」
書類を姉さんに渡して、姉「さらさらさら〜」と記入、サイン。
先生に戻す。
「あ。」
「っと」
「この『酸素吸入』だけは『する』に丸してください死んじゃいますから」
あ。
そなんですか。
あはあはあは。
正しいことをしてるとは思ってない。
けれど、
他に選択肢がない。
好き嫌いは置いといて、元気だった親父が、正月まで会話が成立してた(所々おかしかったけど)親父が、
半年でここまで壊れて、誰の手にも余るようになった。
家族でもどうにも出来ない。
置き去りにする、見捨てるような罪悪感はある。
きっと姉さんにもあるだろう。
でもね、
他に方法がないんだよ。
最善ではないよ。
でもね、
記憶の中にある親父はもう壊れてしまって居ない。