私は戦争が嫌いです。

その話しはしましたねw
私は戦争映画も苦手です。
オカンも嫌がります。
でも、若い世代の人間が知らなくては
いけない事だと思います。
ドキュメンタリーなどで被爆者の方に
話しを聞いたりしているのを見ます。
母は昭和17年の生まれですが
母に話しを聞いたりします。

『知る義務』

だと思うからです。
今の日本は戦争があったなんて
まるで嘘の様に、平和で発展している。
それで良いと思う。
「平和ボケ」
と言う言葉を履き違えてる。
忘れなければ良いのです。
同じ過ちを繰り返さなければ良いのです。

戦争に何も関係のない様な世代の
私達ですが、その戦争と言う悲しみの上に
今、生きています。

私は生まれつき、左目があまり見えません
生まれつきなので、原因がわかりません。
治る見込みも、最初の頃はなかった様です

医学的、科学的話しはここまで

私の実家は本屋を営んでいました
ある日、幼かった私は伝え歩きで
店に出てしまった。その時、居合わせた
お客さんに突然、母が言われたそうです

「奥さん、このお子さんの事でお悩みが
あるのでは?
この子の背中に"鬼子母神"と"弁天"が
乗っています。弁天は良いのですが
鬼子母神が強すぎる、鬼子母神の
神社へ行き、護馬を焚いてもらいなさい」

実際に、神社へ行き護馬を焚いてもらうと
治る見込みがなかった私に手術で治る
兆しが。そして現在、完璧ではないですが
目は見えています。

『何故、この話しをしたか』

「鬼子母神」とは数ヵ所ありますが
台東区・入谷にある神社に行きました。

母は偶然居合わせた人の言葉を何故
信じたか?それは、その人が知り得ない事

母は幼い頃、入谷の鬼子母神の裏手に
住んでいたからです。
思い当たる節があったのでしょう

母の母、言えば私の祖母が昔『願』を掛け
思い果てぬまま亡くなった思いが
私に表れたのではと言う話し。

私の祖母の「願い」とは…
母方の祖母も祖父も会った事がありません
母が幼い頃亡くなったそうです。
祖父は東京大空襲で亡くなったそうです。
でも、遺体があった訳ではないそうで

「いつか帰る、いつか帰る」

祖母は思っていたのでしょう。
その願いが、思いが強かったのでしょう。
その時代、同じ思いを何十…何百…の人が
思っていたのでしょう。

祖母の願いは戻らぬ祖父を想ったモノ

だったのでしょう。その想いが
この目にあるのなら、忘れないでいよう

愛する人の帰りを願った祖母の想い。

ちょっと、オカルトめいた話しになって
しまいましたが、事実なんです。
私の胸に閉まっておけば
いい話しかも知れませんが
これを読んで下さった方が
「何か」を思って下さればと。

「戦後」に生まれた私達ですが
全く違う世界の話しなのではなく
今、生活している「日本」の話しなのです

土がなければ花は咲けない。
色々な悲しみが積もり、その上に
美しく花となって咲けばいい。
でも
土がなければ花は草木は咲けない。