もう人生を体験した人には自分の哲学が存在していて深く根を張っている。

だから全ての思索の底流にはその思想が流れていて、何を語っていても矛盾することはない。

安定した思想。アランの『幸福論』を読むと思うけれど言いたいことは一つと言ってもいいだろう。

でもこれが自分の場合、言っていることは行ったり来たり、自分でも何を言っているか分からないのだから仕様がない。だってこんなことを書いている今だって、最初はアランを誉め、そうなりたいと思っていたのに、もうすでに自分の気持ちが何を見ても動じないなんて新鮮さの対極にあるようなもので、こんなつまらないことなんてあるだろうかなんて思う。僕がブログをやるのも、しょっちゅう書いている途中で話が変な方向に行き、終わってみると自分が想定していた話と全く無関係のことを話していて、その意外性が自分で面白かったりするからだ。だから起承転結なんて物は無いし、いいたいことが一つとは限らないし、見直しもまずしないし、何書いているのかも分からなかったりする。もちろん自分が最初からいいたかったことがうまく書ければうれしいし、気持ちいい。でもその喜びは、思いもよらぬ方向に話が膨らんで、たまに起きる、あの自分の実力以上、意外なほど意外性を出した文章になったときの喜びには適わないし、自分で読んでも面白い。こんな自己満足の世界だけど、いつか自分だけでなく他人にも喜んで貰えるような面白い物語を作ってみたいんだ、なんてね。