僕には才能がない。
もっと言えば、天才に憧れた凡才にすぎない。

今日の米津玄師さんの「はうる」を観に行ってそう思った。それは圧倒的で、いつものような柔らかくなよなよした文体では書けないほど、実に情けない感情が渦巻いている。

僕は劣等感の塊だ。それはきっと人並みの悩みであるのかもしれないけど、僕にとっては大きなファクターで、心に大きく胡座をかいて座しているそいつを上手く飼い慣らして生きてきたつもりだった。

今日のライブで僕の左横に、名前も知らないおそらく年下であろう女の子が1人でいた。
その子は、上半身は全て米津さんのライブグッズであるTシャツとパーカーをまとい、顔には『LOSER』という米津さんの楽曲名の入った小さなフェイスプリントをしていた。
遠くから来たのか、近くから来たのか、それは分からないけど、その子は開演時間になり客電が消え、舞台照明が点灯して米津さんが現れると同時に、崩れ落ちるように泣いてしまった。
その子をよそに会場は割れんばかりの大歓声だった。

一曲目を米津さんが歌い出してもまだ彼女は泣いていた。
彼女は今日という日を、米津玄師というアーティストを、心の底から待ちわびていて、きっと少ないバイト代やお小遣いを貯めて1人で来て、ようやく目にすることのできた光景に涙が止まらなかったのだろうなと思った。

その日までの彼女のドラマは米津さんを中心に回っていて、それだけの想いを馳せるだけの才能と魅力が彼にあることは元々分かっていたつもりではあったけど、僕にはすごく辛かった。
これだけの才能が今の僕にはないからだ。

もちろん僕はアーティストではないから別ベクトルなのだろうけど、僕が逆立ちしたって僕を想って泣いてしまう人がいることなんて想像が出来なくて、米津さんの90分強のライブを見て、世界や次元の違うことを痛感し、自分は一体何をしてるんだとこれまでを恥じた。

大学時代にパソコンにかじりついて見聞きしていた米津さんの楽曲に、あの時に出会えてよかったという思いももちろんあったけど、会場で唯一僕だけが、嫉妬と羨望の入り混じった目をしていたように思う。情けなかった。

誰かと比べたりすることで生まれる歪みのような劣等感は本当に無意味で、誰も救ってはくれないけど、意図せずに無意識にそういった葛藤に苛まれて、勝手に息苦しくなる。
そういうことの連鎖がこのライブ中にずっとあった。自分が負け犬なのだと、分からされているようなそんな気持ちになる。

そして米津さんはそんな僕すらも救うような歌を歌う。
内向的で、自分の弱さを見せるのが下手で、鬱屈した日々の感情を疎ましく思うけど、前に進む米津さんの楽曲達と、僕のやりたいことがリンクしていて、同じ想いでこうして共感してる人々がこれだけの数いるのだから、きっと僕の思っていることに間違いはないんだと、少しだけ思わせてくれる。ほんの少しだけ。

しかし僕にはこんな表現力もカリスマ性もない。努力が足りないせいで、持っている手札があまりにも貧弱で、それぞれの育ってきた環境の眼鏡によって受け取り方が無数にあり、それぞれに共感の呼べる美しい歌詞とメロディに、僕はただただ呆然としていた。

今日という日があってよかったといつか思える日が来るように行動しなければならない。今日の僕に感謝できる日を、僕が作らないと無駄死にな気がする。

自分で書いてて取り留めがなくて、何を書いているのかさっぱり分からないし、これはブログに書くことなのかとも思うけど、どうしても感情の整理をつけておきたかった。
これ以上自分を嫌いになりたくなかった。

ライブは素晴らしかったです。もちろん。
また次回のツアーも行けるといいなと思う。
この感覚を忘れたくない。やっぱり僕は泥水をすすって、1番下から這い上がった行かなければいけない。
変なプライドや振る舞いで、鼻を折られた中学時代の僕から見て、今の僕になれるならと思えるような日々を過ごしたい。

必死に頑張ります。すごく。

読んでくださってありがとうございました。親族が読んでいることを忘れていましたが、もう書いてしまったので仕方ありません。
次はもっと楽しくて、ああ楽しい楽しいと宣ってしまうような文章を書き書きします。
おやすみなさい。