両家の顔合わせの際に、私の両親から、彼の両親へ、娘が若い頃に婦人科系の病気になり、子供ができにくい体であることを説明していた。

 


20代前半で、卵管が破裂して、生死の境を彷徨う手術をした時の後遺症で、子供ができにくい体になったことを。産婦人科の先生から言われていたからだ。

 

やはり、夫の両親は、長男の嫁には、跡継ぎを産んでほしいのではないかと思っていたので、できない可能性を伝えた上で、この結婚の話を進めてもいいかどうか、確認の意味もあって、私の両親は聞いてくれたのだったが、それに対して義両親は「若い二人が決めることですから、そんなことは気にしなくていいですよ」と言ってくれた。

 

それを聞いて、ホッとした両親とレイナだったが、すぐさま、裏切られることとなる…。

 

 

同居をスタートして、暫くは、建て替えたばかりの新しい家の中で、新しい家具や寝具に囲まれて、新婚生活に浮かれていたレイナだったが、次第に同居に伴うネガティブポイントを、諸々知ることとなった。
 


まずは、外出していて、帰宅するたびに「誰だ?!」と叫ばれるのには、辟易した。
合鍵を持っている人間は限られているし、少なくとも昼間出入りするのは嫁であるレイナだけ…にも関わらず、出入りするたびに「誰だ?!」と叫ばれるのは、あまり気持ちのいいものではない。

 

さらに、匂い問題もあった。
やはり、生活臭というのは、各家庭ごとに違うものだと思うけれど、還暦を過ぎた義両親との生活では、その生活臭や加齢臭を感じずに過ごすことは不可欠だったため、匂いに敏感なレイナにしてみたら、生活臭問題は、なかなか辛かった。

 

同居とはいえ、一応二世帯のような形を取っているため、毎晩、食事を共にするわけではなかったが、それでも週に数回はお昼や夕飯を一緒に食べることもあったため、その都度、困るのが「義両親との会話」だった。

 
 

何しろ、レイナはその時、仕事をしていたわけではなかったので、日中は家で過ごすことがほとんど。やることと言ったら、家事全般のみ。
家事をやると言っても、ほとんど家にいない夫と、自分の2人分の家事なんて、たいしてやることなんてない。
まして、引っ越してきたばかりだと、家の中も、そんなに散らかっているわけでもないし、汚れているわけでもなかったら、やることはテレビを見ることぐらいしかなかった。

 

そんな生活を送っていたレイナから、特に触れる話題もなく、話題はもっぱら、義両親による「孫はまだか?」の催促だった。

 
 

いやいや、子供産めないって言ったじゃん!孫はいらないって言ったじゃん!気にしなくていいって言ったじゃん!

そんなことを思いながらも、適当に笑顔でごまかす。

 

「こればっかりは、授かりものですから」

 

何度言ったかわからない、この台詞。それでも、毎日毎日、顔をあわせるたびに、子供ができないことをグチグチ言われていると、当初は本当に「できればいいねー」程度に思っていたが、次第にプレッシャーを感じるようになり、結婚して3ヶ月目には、婦人科の門を叩いた。

 
 

当初は、不妊治療に対して、国からの補助金もなく、ただ治療費は高額で、途中で諦めるような人たちも沢山いた時代だった。

 


レイナはそれなりに勉強してから病院に行ったはずだったが、通うことを考えたら、近い病院がいいと思い、不妊専門クリニックではなく、普通の婦人科で不妊治療もやってます、という病院へ行った。


結果として、この判断が大きなミスだったのだが、約1年間、この病院で無駄な時間だけが過ぎていった。

 


結局、薬には体質的に合う合わないがあり、効く効かないがあり、私がこの病院から出された薬は、私の体には合わず、効かなかった、らしい。

 


1年通院しても何もホルモンの数値に変化もなく…というか、ホルモンの数値、計ったっけ?っていうぐらい、雑な治療しかされなかったので、色々調べた結果、実家近くにある、有名な不妊クリニックを訪ねた。

 

 

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