ぼてさん、時々ベンジャミン、たまにJW.org -35ページ目

ぼてさん、時々ベンジャミン、たまにJW.org

エホバの証人に対する記憶、気持ち、想い、葛藤、未来を書いています。

今日、口永良部島で火山が噴火した。

被害を受けられた島民の皆様にはお見舞い申し上げます。

さて、災害が起こると気になるのがエホバの証人の救援活動。

例えば、災害地にエホバの証人がいない場合彼らは救援活動に行くのだろうか?

アブラハムのように問うてしまいます。

50人のエホバの証人が見いだされるとしたら?
40人のエホバの証人が見いだされるとしたら?
30人のエホバの証人が見いだされるとしたら?
20人のエホバの証人が見いだされるとしたら?
10人のエホバの証人が見いだされるとしたら?

2人のエホバの証人が見いだされるとしたら?
1人のエホバの証人が見いだされるとしたら?
エホバの証人が見いだされないとしたら?

本物の救援隊か? わかると思います。

んでぁ!
今日中古の3Dのソフト「もっと英語漬け」を買った。


自分の英語力を試したら

アルファベットが読める程度

だった。



うそだぁ!!!!
学生の頃、JWと聖書研究を始めた。(私は1世なので家族はJWではありません)

その事を当時付き合ってはいないけど、ひとつ年下の女の子に研究を始めたことを話した。
私はこの子を知識の広さと理解の深さでいろんな意味で、親友のようであり、ある意味尊敬もしていた。

そうすると、彼女は「私のクラスにエホバの証人がいましたけど、変でしたよ。病気になっても病院に行かないんですよ。祈って神に治してもらうって言っていました。 エホバの証人にはならないほうがいいですよ。変です。」

私は「ええ、うそや。でも、そんなこと別に大事なことじゃないと思うけど?」というようなことを言ったような気がする。

この言葉がJW標準の対応方法とは思わない。傾向としてはあるかもしれないけど。病院に行く人は病院に行くと思うし、行かない人は世の人でも行かない。

そして何年も経ったとき、私はJWになっていた。

ある時、地域監督がガンになり、費用が掛かるので会衆で寄付を募って手術することになった。

この発表を聞いた時に心がとても重くなった。
これは何かが間違っているような気がする。いや、正しいのか?
そもそも・・・という言葉が、その時は頭から離れなかった。

よく分からなかったので寄付はしなかった。
まぁ、監督は助かったので良かった。


ある時、長老が下腹部が痛かったのでバファリンを服用して痛みを抑えていた。
でも、そのうち痛みが我慢できなくなり医者に行った。

ガンだった。しかも手遅れだった。

なんなんだろう。これを聞いた時も、もやもやした。
不幸にも彼は亡くなってしまった。
それでも、私のもやもやは消えない。


一方、ガンを煩いながら生活を続けておられる方も複数人知っている。
もちろん、その方も神に祈っているだろう。


そんな事を考えていると冒頭の彼女の言葉を思い出したのである。
「エホバの証人は変です」

こんな事象はどこの宗教にもあるだろう。

ただ、不完全でも、サタンでも、楽園待ちとも違う。どれを当てはめても正しくない。

多分、多分だが、命に対する神聖さじゃないかと思う。多分これが「今のところ」一番近い。


命を大切にするのなら、病気になっても保険などで多額の出費に備える必要があるのじゃないか?
命を大切にするのなら、市販薬が効かないなら病院に行って精密検査するんじゃないか?

「命は神聖なもの」と偉そうに言っているけど、どうなんだろう。最近のいろんな事件がそれを表しているよ。

そして、病気に対してはエホバへの祈りは効かないこと、医者と薬などの方が効く!

多分、彼女の言っていたことは正しかったと思う。 今はどうしているのだろうなぁ?