これってJW.org的には創世記の記述とどう整合性を取るのでしょうか。
閑話休題。
もう、何度も多くの方が書いておられて、私が書いたところで新しい事実も表現も出ないかもしれませんが、書かなければならないと思いますので書きます。
あーーーみんなぁ 帰らないで・・・。
宗教に批判精神が必要かと聞かれても、多分私は分かりません。少なくとも相容れないものであることは確かです。どんな宗教を信じるのも自由ですけど、その宗教が信じるに値するものか否かについては批判精神が必要だと絶対に思っています。それは昔から私はそう思っていました。
FAQの時間です。
Q1:なぜ、ぼてさんはエホバの証人になったのですか?
A1:聖書を信じてもいいよーと思ったから(←ここが重要です。たぶん)です。
Q2:なぜ聖書を信じていいと思ったのですか?
A2:エキゾチックな雰囲気が好き
だって、行ったことのない国とか、時代とか・・・
Q3:なぜぼてさんはエホバの証人に嫌気がさしたのですか?
A3:2つの世代とか、どこにも聖書にひな形のない解釈、聖書で聖書を理解するという彼らの言葉からは余りにも懸け離れたありえないことを、さも預言だという様な偽りを語ったため。他にもいろいろ
。あ、批判精神ですね。
私はエホバの証人としてこれが正しいだろうと思っていました。でも信じていても、私は私を後ろからずっと見ていました。第三者の目で見るような感じです。だから、周りから見るとすごく生温いエホバの証人だったと思います。熱心にしないから、特権を捉えようとしないから(結果的には捉えられないということだと思いますが)だと思います。
変な言い方ですが、その組織に染まりつつもその時の自分の良心に背かない奉仕だけをしていました。そうしないと飲み込まれてしまいます。
もっというと、非常口のノブにいつも手を掛けている状態です。危険になったらすぐに外に出られるようにしていました。やらしい人間です。
なので、辞めても傷は浅いですし、恨みもそれほどありません。
あ、批判精神ですね。
批判=物事に検討を加えて、判定・評価すること。
別に悪口をいうことでも、皮肉を言うことでもありません。聞くことや見ることに注意を払い自分の出来る範囲で正しいことか考えることです。
そして、それを行動にすることです。誰かに言う必要はありません。
(ヘブライ 2:1) 2 それゆえわたしたちは,自分が聞いたことに普通以上の注意を払い,決して流されないようにすることが必要です…
ご存じのとおりエホバの証人は盲信させようとしています。教理が複雑というか生活の多岐にわたり過ぎているので、考えさせると矛盾が生じます。ですので、組織を絶対化し、信じて行動するのが良いと経験(談)などを通じて信じさせます。
ご存じのとおりエホバの証人は盲信させようとしています。教理が複雑というか生活の多岐にわたり過ぎているので、考えさせると矛盾が生じます。ですので、組織を絶対化し、信じて行動するのが良いと経験(談)などを通じて信じさせます。
でも、そこでその指示が正しいかどうかを考えるのが絶対に必要です。エホバが喜ばれる?本当に?でも、この指示を実行すると人が困るよ? そんなことをしてエホバは喜ばれる?
誰を喜ばせているのでしょうか? サタン?エホバ? いいえ。組織です。というオチがよくありますからね。
そして、聖書が何を述べているかです。ものみの塔の研究記事は本当に聖書を正しく伝えていますか?
私はあまりわかりません。聖書の背景にあるものや聖書の字数が多すぎるのが原因です。
でも、ものみの塔を読んでいて、心に引っ掛かる部分が見つかるかもしれません。
それがワナです。自分の言葉で納得出来るように説明してみてください。出来なければ、理解が残念なところで足りないのか、ウソが書かれていると思います。
(↑ちょっと昔のブログの復習)
あ、時間ですのでそろそろ終わります。
でも、現役の皆さんよく考えてくださいね。
宗教の問題は自分だけでなく家族も不幸にするかもしれませんよ。自分だけなら、まだいいですけどね。
まずそこから考えてみましょうか。