その映画のテーマのひとつが「テディベアのTEDは人間か所有物か?」というものがあった。
そして、最近NHKのBSで再放送されている「映像の世紀」の第5集「世界は地獄を見た」というテーマのなかで、ヒトラーがアウシュビッツでユダヤ人などの大量虐殺したが、ヒトラー自殺後に強制収容所のしたい処理ををしている映像があった。
建物の外でぼろ雑巾のように倒れている死体、大きな穴を掘ってブルトーザーで死体を棒切れを捨てるかのように無造作に埋める映像、どちらもモザイクやボカシの処理をされず放送されていた。
私は、この映像を人間が見るべきと思う。人間の尊厳の無い死に方がどれだけ悲しいものなのか知る必要があるからだ。(もっとも、死体に対する考え方が西洋と日本が違うことも考慮に入れるべきではあるが)
本当はスクリーンショットをアップロードしたかったが、権利の問題やPTSDになる人もいるかもしれないので止めた。ハニーが見たらきっと夜にうなされると思う(笑)。
そのふたつを併せて、ほげぇと考えていたら・・・。
エホバの証人の言う大艱難って、大虐殺じゃないのか?と思ったり。
エホバという神は人を自分の言うことを聞かないからといってモノ扱いで殺すのか?と思ったり。
エホバの証人の人の心を捉えない下手糞な伝道活動で話を聞かない人がみんな悪い人なのか?と思ったり。
そして、エホバの証人の駅前で突っ立っているだけの奉仕が人の善悪分ける根拠の一部となり得るのか?と思ったり。
また、自分がそんなエホバの証人で拙い奉仕していたことに嫌悪したり。
結局、なぜエホバという神は人を殺すのだ?
創造主であるエホバであれば人間にどのような権利を行使する事もも許されるであろう。
しかし、心や自由意志を持つ人間を作って、それを無視するような「神の意思」ってなんなのだろうかと思う。道義的に考えると正しいのか?
神から見た人間の尊厳ってどんなのだろう。人間から人間を見るとお互いの命は尊いと感じるもの。なるほど、マタイ7章12節の”それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません”がその筆頭なのかもしれない。
だけど、そのようにしたところで、最後には神の大虐殺があるなら意味が無いのではないか。
どれだけ、エホバの証人が世の人に対し良い事を行っていたとしても、最後にこの大艱難という虐殺に加担(宣べ伝えることで加担している)するのであれば意味がなかろう。
ポープ(詩人)の言葉に"人間はすべて善でもあり、悪でもある。極端はほとんどなく、すべて中途半端だ。"というのがあるが、まさしく、誰もが五十歩百歩なのではないだろうか。
たぶん、神から”エホバの証人”や”世の人”を見たら、質的には五十歩百歩なんじゃないかな。
ただ、痛い考え信じているか否か。極端な考えを持っているか否か。
どちらにも、どちらの人間もいる。
しかも自由意志は神が創ったのだ。自由に判断するして、思わぬ方向に行った人間も同じく自由意志なのだ。良いとか悪いとか無い。と思う。
そう動いたのは、モノではなく人間なのだ。モノとは違う。
片方に尊厳があるなら、もう片方にも尊厳がある。
両方とも神が創った人間なのだ・・・。
神が存在したら・・・ の話だが・・・。
どれだけ、エホバの証人が世の人に対し良い事を行っていたとしても、最後にこの大艱難という虐殺に加担(宣べ伝えることで加担している)するのであれば意味がなかろう。
ポープ(詩人)の言葉に"人間はすべて善でもあり、悪でもある。極端はほとんどなく、すべて中途半端だ。"というのがあるが、まさしく、誰もが五十歩百歩なのではないだろうか。
たぶん、神から”エホバの証人”や”世の人”を見たら、質的には五十歩百歩なんじゃないかな。
ただ、痛い考え信じているか否か。極端な考えを持っているか否か。
どちらにも、どちらの人間もいる。
しかも自由意志は神が創ったのだ。自由に判断するして、思わぬ方向に行った人間も同じく自由意志なのだ。良いとか悪いとか無い。と思う。
そう動いたのは、モノではなく人間なのだ。モノとは違う。
片方に尊厳があるなら、もう片方にも尊厳がある。
両方とも神が創った人間なのだ・・・。
神が存在したら・・・ の話だが・・・。

