現役エホバの証人の時に出来なかったことをやってみた | ぼてさん、時々ベンジャミン、たまにJW.org

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エホバの証人に対する記憶、気持ち、想い、葛藤、未来を書いています。

現役エホバの証人の時に出来なかったことをやってみました。

といっても大した事ではないのですが、ガンプラを作りたかったのです。
別に、ガンプラを作ったら排斥になるわけでもないですが、JWの誰かが遊びに来て”つまづいたら”面倒なので、控えていたのです。

なぜガンプラを作ると”つまづく”人が出てくるのかというと、”戦いを学ばない”という原則に反する可能性があるからです。なのでエホバの証人は戦争に参加しないとか、兵器を作る会社に就職しないとか、格闘技の授業を受けません。 

これらは個人の良心ににより対応するのですが、半ば強制です。なぜなら、それらを行うと、特権はく奪や、懲らしめなどが課せられるからです。

ただ、プラモデルに武器を持たせてポーズを決めて飾るのが、戦いを学ばないに抵触するのかと考えれば大した問題ではないと思うのです。

これで戦いの何を学ぶの?
これで心が戦いを美化するように動くの?
これをイエスが見たらどう思うの?

イエスが見たら・・・・・・なんて言うのでしょうね。

ぼて「イエス!見てください。 ガンプラが出来ました!!」
イエス「これは、フル・フロンタル大佐の乗っているシナンジュですね!!」
 (イエスは完全な方なので何でも知っているのです!)
ぼて「そうなんですよ! バンシーと戦っているところを表現してみました」
イエス「ぼて兄弟、残念ながらこのタイプのバンシーはシナンジュと戦っていません。全然ダメですね。」
ぼて「イエスには負けます。確かにその通りです。悔い改めます。」

こんな感じでしょうか。確かにイエスに怒られてしまいました。


別のある時、私と同年代の長老と話をしていました。長老が大好きな将棋についてです。
将棋は昔の戦のシミュレーションであり、”戦いを学ばない”原則に反するのではないか?
駒は人であり、単にデフォルメしただけで、それは人ではないか?ならば殺人をしているのではないか?(とちょっとコジツケて聞いてみました)

長老は言いました。「将棋はゲームだからいい」。分かったような分からない答えでした。

なるほど、じゃぁストリートファイターとか格闘技ビデオゲームも良いことになるよね。
え?違うの? まぁ、私にとっては苦手なジャンルのゲームなので深く突っ込みませんでした。

結局、今もよく分からないのですが、”戦い”と”戦いではないモノ”の境界線ってどこ?
ものみの塔に書いている答えではなくて、原則の境界線。

誰にも分らないのじゃないかな。

シナンジュ
↑シナンジュ

バンシー
↑バンシー

 
↑バンシー VS シナンジュ