私はただ単にあまのじゃくなだけかもしれない。
あと、私はきっと残酷な人間なのだろう。
最近、話題になった問題である。
簡単にどんな問題か説明すると、
スペースワールドのスケートリンクにて「氷の水族館」という企画がこの冬に実施された。
5000匹の魚 (規格外の廃棄物、おそらく"ほぼ規格外だったように記憶している") 、ジンベエザメ等の大型魚の写真をスケートリンクの中に埋め込み、その上をスケートで滑るというものである。
この演出について、残酷だ、倫理観に欠ける、人間性を疑うといった批判が出て、結果、このスケートリンク演出は中止となった。
私がこの問題を最初に見たのは、すでに批判が出ているというニュース記事だったためか、そこには演出に対する多くの批判的なコメントが並んでいた。
その中で、↓のような情弱コメントは「あぼん」と思って消えたこととするとして、それ以上の意見について考えてみる。
「あぼん」な奴ら
・魚が頭を出しているところで滑らせるとか、ありえない
・ジンベエザメを凍らせているとは…貴重な生き物をこんなことに利用するなんて
・このために魚を氷漬けにして殺すとか、虐殺だ
この人たちは批判記事の書き味をそのまま信じ込んだ情弱たちです、かわいそうに。
常識的に考えて、スケートリンクに凸凹があったら危険です。そんなことしません。
該当記事には、設営途中の写真として、魚が半分頭を出しているものが掲示されています。
その写真が最も大きく、そのほかにカニの設営中の写真、ジンベイザメが埋まっている写真、魚の引きの(全体像が移るような)写真があります。
本文には「アイスリンクから凍ったまま顔を出す魚や、アイスリンクの中で凍っているジンベイザメの様子」の説明文。
また、その記事には、Twitterからの引用として、頭が露出していたとか、血がにじんでいたといった内容が記載されていました。
それをそのまま、考えなしに結び付ければ、「え、魚の頭が出ているところを滑るの!!」とか「ジンベエザメも凍らせてるの!!」とか「生きている魚そのまま凍らせたの!!」なんて、信じられない印象を受けますが、その通り、それは事実ではありません。
しかし情弱諸君はそれを信じ込んでしまい、そんな非常識が許されてたまるかと怒っています。
あほだね。それを実際にやっていると信じ込むあなたの倫理観こそ、実は危ないのではないのでしょうか。
さて、この演出が「規格外の廃棄となる魚を使っている」、「大型の魚は写真を利用している」、「魚はリンク上に露出していない(確か数センチは氷の層があったと思うのだけど)」ということを理解したうえで、批判している内容について考えていく。
「スケートリンクで下を見るのは危ない」
「生臭そうで生理的に気持ちわるい」
「廃棄物だとしても、食べ物で遊ぶのは悪趣味だ、人間性を疑う」
「死骸で遊ぶのは悪趣味だ、人間性を疑う」
恐らくこの辺りの批判がある感じである。
一番上は、「ごもっとも」です。まぁ、今回の炎上のネタとは論点が違うので、おいておきますが、スケートリンクというスポーツの場での企画という観点では、最も重要視されるべき観点ですね。
2つ目は、確かにそう思うのもそうかもねと思うのである。溶けたりはしないと思うけど、うん、水族館も生臭いもんね。私も生臭いのはあんまり得意ではない。衛生的にどうかという点もあるでしょう。ここはあまり専門知識を持っていないので(´・ω・)うーんというところです。
ここまでは正直どうでもいいです。
さぁ、この演出は残酷だろうか?悪趣味だろうか?倫理観に欠けるだろうか?
私がこの企画の担当者の考えたことを慮るに、
市場にでは毎日多くの魚が規格外として廃棄されているという情報を仕入れる。
こんなにかわいい魚たちが、ただのごみとして、ただ毎日捨てられるだけとはかわいそうである。
何かに使えないかなぁ?
冬のスケートリンクはどうかなぁ?
凍らせれば痛みも遅いし、いろいろな魚の姿を見ながらスケートするというのは魚への親しみや興味も増えて教育的にもいいのでは?
費用も安いし、実現性があるな!
…なんて、考えで進んでいったのではないでしょうか。
まぁ、エスパーではないので本当のところはわかりませんがね。
さて、これは残酷なことなのだろうか?
「廃棄物だとしても、食べ物で遊ぶのは悪趣味だ、人間性を疑う」
この意見には真っ向から反対させてもらう。
この魚は消費者によって食べ物からはじかれた廃棄物である。
私たちが食べたがっているアジとかなんとか、そのほかのよく売れる魚を捕るために、一緒にかかってしまう魚たちである。
そして、私たちはその魚たちを食べないで廃棄物として捨てる。
すでに食べ物ではないと、廃棄物だと、私たち消費者によって判断された、ただ捨てられてしまう運命にある、魚たちである。
上記の批判をする人たちは、自分たちが食べ物・命の選別をしている当事者であることに気付いていない。
「自分のどこか知らないところで、誰かが、食べ物を廃棄物にしている」とでも思っているのだろうか?
「自分はそのような魚が売ってあったら、食べ物として買う」とでも思っているのだろうか?
実際には、アジなんかに比べて骨も多く、身もおいしくない、食べるところが少ない、毒がある
など、何かしらの「食べ物としての欠点」を持っていることが少なくない。
本当にそんな魚を好き好んで買うのだろうか?
アジでさえ満足にさばけない人も多いのに?
だから、想像、考えの足らない、生産性も建設性も何もない偽善だなんて思うのですよ。
「死骸で遊ぶのは悪趣味だ、人間性を疑う」
ここは、各人の感覚の違いでしょう。
どこからが「悪趣味」で「残酷」で「倫理違反」なのか。
・生け花や押し花、ドライフラワーで遊具を飾った場合は?例えば床板に埋め込んだ場合は?
(生きている植物を切って、作品を作って、結果、衰弱死させているよね?)
・動物の剥製を飾って、ボタンを押すとその動物の鳴き声が再生されるような企画は?
(生き物の死骸を飾り物にしたうえで、音が鳴るギミックで遊んでるよね?)
・フグ提灯は?
(フグをさばいた後に余るフグの皮を丸い形で乾燥させて、提灯の形にする、伝統的なおみやげ。死骸をおもちゃにしているよね?)
・魚の死骸をスケートリンクに埋め込むのは?
(今回はこれですね)
・毛皮のコートは?
・動物の毛皮の絨毯や、ソファーカバーは?
・蛇やワニ革のお財布は?
・ダウンやフェザー、羽毛布団は?
(これは、食用にもするようですので、このためだけに殺されるわけではないようですが、羽を抜かれて、また生えたら抜かれてというのを何度か繰り返して、最後は食肉用でさようなら、という保護団体の話を信じるとしたら、地獄はここにもありです)
・玉虫厨子は?
(高校で日本史を選択しているならわかるはず。国宝の仏教工芸品で、虹色に輝かせるために玉虫の羽をむしって張り付けてあるやつ)
まぁ、あんまり極端な例まで引き合いに出すとブラック論争のようになってしまい、自分で論の破たんを招いてしまうので、このへんにするとして。
わたしは、今回の企画は残酷だとは思わない。
確かに、氷の薄いところがあって、魚を踏んでつぶしてしまったらテンション下がる感じはする。まぁ、そこは本題ではない。
私はこの企画について、普段市場に出回らず廃棄されてしまう珍しい魚たちに光をあて、市民がそれを目にする機会と考えており、いい企画だと思います。
死骸をもて遊んでいるという意見の人にとっては、氷の中の魚も市場に出回る魚も海や川や水族館で泳ぐ魚もみんな等しく「おさかなさん」なのではないのだろうか。
その「おさかなさん」の中にも、市場でみんなに「おいしい」と好まれている「おさかなさん」もいれば、水族館でみんなに「かわいい」と好まれている「おさかなさん」もいれば、釣りで楽しくつられてリリースされる「おさかなさん」もいれば、生態系を破壊する特定外来種として忌避される「おさかなさん」もいれば、誰にも知られずに廃棄される「おさかなさん」もいる。
彼らは果たして、どの「おさかなさん」を頭にうかべてこの話を読んだのか。
はたまた、この批判を受け、企画は中止となりました。これを受けて批判した人はどう考えているのでしょうか?
これで、遊びに利用されるかわいそうなおさかなさんはいなくなったんだ、めでたし、めでたし…とか?
おそらく、そのまま廃棄されるけど、それはかわいそうではないのか?
自分の目に見えなくなったとして、それで、かわいそうな魚はいなくなったのか、それでいいのか、あああ、今日はもう寝る時間だ ※深夜1時 気分が乗ったらまた続き書く
ではの
