暗向な自分にして、暗合に、暗号を解いてしまうようなことを想定して、第三者として、何かの対象にコミットする場合、それが暗号であれば、第三者である凡夫は、その暗号を解いてはいけない。
なぜなら、ルールとして、暗号とは、第三者に解かれないことを目的に作られるからである。
しかし、疑問であるのは、そのような、暗号とは一体何故に、暗号として作られるのか、ということである。
暗号は秘密の守護者である。
秘密にするのは、人に知られたくないためである。
人に知られることによって、なんらかの実害がある場合である。
暇だから。
その実害は、実は、第三者に及ぶ場合であれば、それはなにか、面白い香りがするところであるだろう。
しかし、なぜ、暗号を解きたい者があるのだろうか。
秘密を知ることに恍惚するから。
その実害を与えることで、なんらかの利益を得られるから。
そこに山があれば登るように、解きたいから。
暇だから。
理由はそれぞれである。
秘密を守る暗号とは、不思議な存在で、それ自体に、それを守る仕掛けは、意志はないはずである。
自分における暗号とは何だろうか。
畢竟、この質問の真意は、
”第三者とは?”
この質疑である。
第三者とは?
つまり、あなたの秘密とは、誰に知らせうるものであろうか。
これは正味、気味の悪い問いである。
秘密は、2者の間でしか、生まれないからだ。
自分と誰か、もしくは、自分とその自分、である。
ここで、秘密をこう書き換えよう。
秘密とは、知らせないXであると。